雷神社(読み)いかずちじんじや

日本歴史地名大系 「雷神社」の解説

雷神社
いかずちじんじや

[現在地名]厳原町豆酘

西井坂にしいさかに鎮座。祭神は雷大臣命。旧村社。「延喜式」神名帳にみえる下県郡一三座の一つ「イカツテ命神社」は阿連の雷命あれのらいめい神社に比定する説が有力であるが、豆酘つつの雷神社とする見解もある。下県郡の式内社に「都々智神社」とあるのが雷神社の古名とみられる。ツツチとイカツチは同じ名義で、豆酘の語源とも解される。当社はまた嶽之たけの大明神と号していたが、亀卜を行う卜部の祭祀であることから卜事を行った村々では雷神を祀り、しかも中世から近世にわたっては嶽之神と称している例が多いことが注目される。


雷神社
らいじんじや

[現在地名]海上町見広

椿つばき新田を望む台地のへり、東海道とうかいどうに鎮座。祭神は別雷命と天穂日命。旧郷社。社伝によれば、下海上国造の子孫が祖神天穂日命を奉祀したのが始まりで、平安時代に雨乞の神として別雷命が合祀されたという。総社雷大神と称した。江戸時代には文殊もんじゆ院住職が別当職であった。見広みびろ村・大間手おおまて村・倉橋くらはし村など一三ヵ村の産土神として信仰され、日照りに際しては神輿が繰出された。


雷神社
いかずちじんじや

[現在地名]豊岡市佐野

円山まるやま川西岸の丘陵上に鎮座。天神社あるいは佐野さの天神とも吉峰よしみね天満宮ともよぶ。祭神は大雷神・須佐之男命・菅原道真。旧村社。「続日本紀」慶雲三年(七〇六)七月二四日条に「丹波・但馬二国山災、遣使奉幣帛于神祇、即雷声忽応、不撲自滅」とあり、この神祇は当社とみられる。承和九年(八四二)一〇月一五日には官社に預かり(続日本後紀)、貞観一〇年(八六八)一二月二七日には従五位上に進んだ(三代実録)。「延喜式」神名帳に載る気多けた郡の名神大社。なお当社の鎮座する佐野は古代・中世には気多郡に属しその北端に位置したが、江戸時代には城崎きのさき郡所属となる。


雷神社
らいじんじや

[現在地名]下館市樋口

久下田くげた城跡の一画に位置し、祭神は別雷大神。旧村社。樋口ひぐちの雷神様の名で親しまれる。社伝によれば、寛治元年(一〇八七)源義家が後三年の役で清原氏を討伐し京都へ凱旋する途上、神託を受けて奉斎したという。天文一四年(一五四五)久下田城を築いた水谷正村が、当社を祈願所として本殿を再建、寛永元年(一六二四)には水谷勝隆が営繕する。享保一七年(一七三二)に入部した石川総茂も祈願所とし、毎年三月一五日には奉幣して領民の参拝を奨励した(下館市史)。現在の本殿は、安永四年(一七七五)建立で、総欅の八宗造。竜・獅子の組物で飾り、建築には四〇両の経費を要した。幣殿は元禄一〇年(一六九七)建立の拝殿を改築した。


雷神社
いかずちじんじや

[現在地名]前原市雷山

らい(九五五・四メートル)の北側に鎮座。旧県社。祭神は火雷神・彦火火出見尊・香椎大神・住吉大神・応神天皇・級戸辺命・志賀大神。「続風土記附録」によると上宮は層増岐明神、中宮は水火雷電神・高祖宮・神功皇后・住吉大明神・八幡大神を祀り、下宮は笠折権現と称し層増岐明神・高祖明神・住吉大神を祀ったという。


雷神社
いかずちじんじや

[現在地名]常陸太田市藤田町

山田川の北側に位置し、天神林の馬坂てんじんばやしのまさか城跡をすぐ目前にした田の中にあり、森に囲まれる。祭神は別雷命。旧村社。社伝によると養老年間(七一七―七二四)京都上加茂より勧請創建し、古くは二〇〇余間の馬場があったという。徳川光圀崇敬があつかったと伝える。「新編常陸国誌」には「神体ハ円石、(中略)社領四石九斗五升七合」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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