布帛に型を用いてにかわ,漆,のりなどの接着剤を置き,その上に金箔を施すか,もしくはにかわなどを混ぜた金泥を直接型で押すかして文様を表したものをいう。中国では銷金(しようきん)といい,長沙の馬王堆1号漢墓から〈金銀印花紗〉などの作例が出土しており,漢代からの加飾技術の一つであったことが知られている。日本には中世末から近世にかけて輸入された中国元・明代のものが多少残っており,今日名物裂(めいぶつぎれ)として珍重されている。またこれを模倣して作られた日本製のものに〈奈良印金〉〈京印金〉があるが,あまり上質のものではない。一方室町・桃山時代のころから小袖の加飾技法として盛んに用いられた〈摺箔(すりはく)〉は外来の印金に触発されて発達したともいわれるように,技術的には印金と同種のもので,ししゅうや絞(しぼり)と並用したり,単独に用いてみごとな小袖模様を形成してきた。同種の技術はジャワやバリ,インドの染織品のなかにも見られ,模様染や絣などと併用されている。とくに模様染〈更紗〉には,金箔(金泥)で独立した文様を形成した〈印金更紗〉,一部に補助的に用いた〈金更紗〉がある。
執筆者:小笠原 小枝
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布帛(ふはく)に型を用いて漆、糊(のり)などの接着剤を置き、その上に金箔(きんぱく)あるいは金粉を施して文様を表したものをいう。中国では銷金(しょうきん)とよび、これがもっとも発達したのは宋(そう)時代のころからであるが、技術そのものはもっと古く、近年(1972)長沙(ちょうさ/チャンシャー)馬王堆(まおうたい)1号前漢墓から出土した「金銀印花紗(いんかしゃ)」の作例によっても明らかなように、染織の加飾技術の一つとして紀元前から存在していたものである。日本には中世末から近世にかけて輸入された、中国元(げん)・明(みん)代の作例が多数残っており、そのうちのあるものは今日「名物裂(ぎれ)」として親しまれている。こうした外来の印金に触発され、これを模して日本で製作されたものに奈良印金、京印金とよばれるものがあるが、これらは金箔の質が劣り、中国の印金ほど上質のものではない。また同種の技術は南方のジャワ島やバリ島、あるいはインドの染織品のなかにもあり、模様染めや絣(かすり)と併用されて華やかな美しさを添えている。たとえば印金更紗(さらさ)、金更紗とよばれるものがそれで、とくに前者は金箔あるいは金泥で独立した模様を構成しているもの、後者は更紗模様の一部に補助的に金箔、金泥の加えられたものをさしている。
一方、日本で室町・桃山時代のころから小袖(こそで)の加飾技法として発達した「摺箔(すりはく)」も技法的には印金と同種のものであるが、これは刺しゅうや絞りと併用したり、単独に用いたりして、みごとな小袖文様を形成してきた。
[小笠原小枝]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代初期には小紋風の詰文様がしばしば見られ,この技術の展開がわかる。近世における摺箔は中国明代の印金(いんきん)の影響によるといわれるが,印金は接着剤も箔もかなり厚く金属的であるのに対し,近世初期の摺箔は接着剤も箔も薄く,生地に溶け込むように柔らかくかなり異なった風合いを示す。1683年(天和3)の禁令で衣料に金銀の使用が禁ぜられて後は,普通の衣服にはあまり用いられなくなった。…
※「印金」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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