密教独特の成仏思想。現在の肉身のままで仏になること。大乗仏教が、その宗教理想をゴータマ・ブッダ(釈尊)が達成したのと同じ無上正等覚(しょうとうがく)に置き、そこに到達するには無量劫(むりょうこう)にわたって無数回の生死を繰り返して修行を積む必要があるとする歴劫成仏(りゃっこうじょうぶつ)の立場をとるのに対して、それと同じ成仏の境地が、仏の世界を図絵曼荼羅(まんだら)として観想し、手に特定の仏の働きを象徴する印契(いんげい)を結び、口にその尊の真言(しんごん)を唱え、心にその尊を象徴する図形である三昧耶形(さんまやぎょう)を観想する、いわゆる三密加持(さんみつかじ)、または三密瑜伽(ゆが)という密教的行法によるならば、なんら多生(たしょう)にわたる難行苦行を必要とせず、この現在の生の間に、父母から生まれたこの身体に即して成仏が実現されうる、とするもので、両部大経のうちの『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』系の思想である。
[津田眞一]
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…しかし,第2次世界大戦後,真言宗醍醐派(総本山三宝院),本山修験宗(総本山聖護院),金峰山修験本宗(総本山金峯山寺(きんぷせんじ))などの修験教団が相ついで独立し,修験道はふたたび活況を呈している。
[思想と儀礼]
修験道の思想や儀礼は,峰入り修行による〈即身成仏〉という眼目を中心として展開する。まず依経は,教義上は山中の森羅万象そのものを経とするというように,特定の経を立てないことを旨とする。…
…かくしてスリランカ,ミャンマー,タイなどに伝わる南方の上座部仏教Tera‐vādaでは,涅槃(ねはん)(さとりの世界)を求めて解脱を目標とした。他方,大乗仏教Mahā‐yānaがインド,中国,日本に伝わる間,禅定や止観が重んじられるとともに,それらの修行の階程をふむことを歴劫修行(りやくこうしゆぎよう)と否定し,〈信〉によってただちに生死の悩みから涅槃に昇化する即身成仏(そくしんじようぶつ)の思想が生まれた。日本仏教は各宗を通じてこの思潮に立ち,文学作品などで死を成仏と表現するのは,仏教信奉者が死を迎えると仏の命(いのち)に帰ると考えて,死者を成仏したものと理解したためであるとされる。…
…その上に仏の行動をシンボライズする印を手で結び,仏の正覚を心に念じて仏と同体化しようとした。これが三密(口密,身密,意密)瑜伽(ゆが)による即身成仏の実践である。空海(弘法大師)はこのような即身成仏によって仏の加持力を発揮し,衆生の諸願を満足させる目的で,密教による一宗派を開いた。…
…ところが,このような潮流に対して,とりわけ解脱宗教的特徴を強く示したのが,たとえば空海と道元によって代表される宗教経験であった。空海によって説かれた〈即身成仏〉(その身そのままで仏になること)と,道元によって主張された〈身心脱落〉(心とからだが透明な融合体――仏――になること)の境地こそは,〈解脱〉の特質を端的に示す身心統御の状態であるといえよう。 以上のことからわかるように,平安時代の日本仏教界の趨勢を,教団史的観点からではなく宗教経験の類型的把握という観点から見直してみるとき,密教における解脱型(空海)に対して,浄土教における救済型(源信)を対照させることができるであろう。…
…即身成仏した行者のことであるが,通常その遺体がミイラ化して現存するものをいう。一般仏教の即身成仏は,真言宗も天台宗も禅宗も,観念上の即身成仏である。…
…このような入定信仰では,肉体もそのまま残ると信じられ,これを即身仏といった。すなわち密教では入定を即身成仏というからである。空海の入定にならったといわれる出羽三山の湯殿山即身仏(ミイラ)も入定によって肉体を残し,同時に永遠の生命をもって衆生済度しようとしたものである。…
※「即身成仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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