垣網と身網(囊網)とからなる建網類のひとつで,浮子(あば)と沈子(いわ)とを用いて網を魚道に定置し,そこを通過する魚群を知らず知らずのうちに身網に誘導し,おちこむようにするもの。特徴は水中の身網を起こしあげて魚を捕獲する点。台網の名は,身網の首部にとりつけた大きな浮子を台木と称したことからでたといわれる。この類の網は規模も大きく漁場も外海で,しかも湾入個所にあって回遊魚が漁期になると必ず来遊する魚道であることが必要であった。台網は身網の形状から大敷網と大謀網に分けられる。大敷網は身網が三角形に近く,その一辺が魚の入口として開口しているものをいい,大謀網は身網が楕円形または矩形,八角形などをしていて,魚の身網への入口がその一部に開口しているものをいう。前者は魚の入りやすい代りに入った魚が再び逃げやすい欠点があるのに対し,後者は魚の入りにくいきらいはあるが一度入った魚はなかなか逃れにくい長所がある。江戸時代はもちろん明治前半までは大敷型の台網が支配的であった。大謀型の漁網ができたのは文政年間(1818-30)から幕末のころといわれる。大謀型漁網が大敷型漁網を圧倒するようになったのは明治末期から大正年代にかけてのことで,これは回遊魚の減少にともなって漁獲効用の確実さを求めた点にある。
台網の発達には4系統があったとされている。長門・肥前を中心とする西南系大敷網,越中・能登を中心とする北陸系台網,陸前・陸中を中心とする東北系大網,陸奥・北海道方面の建網の4種である。これらのうちとくに注目されてよいのは1892年宮崎県の日高亀市・栄三郎父子による大敷網の発明,また同父子による1910年の大謀網の考案,12年富山県の上野八郎右衛門による上野式大敷網の発明などがあげられる。かくして台網の技術改良による著しい発達をみたのであるが,昭和期に入るや落網(おとしあみ)がこれに代わるところとなった。
→網漁業
執筆者:秋田 俊一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
網漁具の一種。定置網(建(たて)網)類に属する。魚捕部と垣網部との2部、あるいは魚捕部、囲網(かこいあみ)部および垣網部の3部からなり、垣網によって誘導された魚群をただちに魚捕部に落とし入れる構造である。台網類はその構造上は大敷(おおしき)網類と大謀(だいぼう)網類に分類される。大敷網類は建網のうちではその起源がもっとも古く、山口県におこった西南系大敷網と、富山湾でおこった北陸系台網とがあった。大敷網類の魚捕部は三角形状で、奥部の三角の頂点は台とよぶ大浮子(あば)に連結されている。三角形状の魚捕部の一辺が開口しているため、魚群は入りやすい反面、出やすい欠点も持ち合わせている。大敷網類だけでなく大謀網も消滅しつつある。
[笹川康雄・三浦汀介]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…定置網のうち歴史的に最も注目される台網の一種。台網とは垣網と身網とよりなる建網で,浮子(あば)と沈子(いわ)とを用いて網を魚道に定置し,そこを回遊する魚が垣網に誘導されて身網に入るようにし,身網を起こして魚を捕獲するものであった。…
…囲い網の一部に魚捕部をつける場合,別に袋状の魚捕網をつける場合など,取り上げ方もいろいろである。台網,大謀網,落し網,ひさご網,角網,枡網などがある。サケ・マス,ブリ,イワシ,タラなど特定の魚種をおもな対象とするものもあるが,とくに魚種を選ばず,沿岸に来遊するものすべてをとる場合も多い。…
…これらが発展して規模を増し,複雑な構造になってえり(魞)になり,定置網となったものである。定置網はその構成から台網類,落し網類,枡(ます)網類,張網類,出し網類,網えり類に分けられる。 台網類は身網と垣網あるいはさらに囲い網をもつ定置網で,古い型であって現在はまったく残っていない。…
※「台網」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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