明治〜昭和期の日本画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
日本画家。東京に生まれる。名は準(ひとし)、通称三郎。15歳のころ狩野良信(かのうよしのぶ)について狩野派を学び、1892年(明治25)には土佐派の山名貫義(つらよし)に師事した。また早くから故実の研究にも力を注いだ。1901年(明治34)に『笠置(かさぎ)潜幸』が日本美術協会展に入選、その後烏合会(うごうかい)、金鈴社の運動に加わる。22年(大正11)からしばしば帝展審査員に任じられたが出品はせず、26年の第7回帝展にようやく『離騒(りそう)』を出品、大きな反響をよんだ。日本や中国の古典に取材した端麗な作品を残している。また書家としても和様の格調高い書風で知られる。代表作は『離騒』のほか『赫耶姫(かぐやひめ)』など。京都方広寺の天井画『龍』もよく知られている。
[原田 実]
『河北倫明・市田儀一郎解説『吉川霊華画集』(1979・集英社)』
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(佐藤道信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…為恭が平安時代の障子絵を想像復元(大樹寺襖絵)するなど,古典に対する知的興味の先行も指摘できるが,《古今著聞集》などに取材した新しい主題をつくった積極面が評価される。明治期の菊池容斎(ようさい),小堀鞆音(ともと)(1864‐1931),吉川霊華(きつかわれいか)(1875‐1929),松岡映丘(えいきゆう)(1881‐1938)らの歴史画の先駆となった。やまと絵【鈴木 広之】。…
…しかしそれにもかかわらず,依然として保守的なマンネリズムを続けていたため,それが特に目立つ日本画部に革新の声があがった。1916年,東京の鏑木清方,吉川霊華(きつかわれいか)(1875‐1925),結城素明,平福百穂,松岡映丘と,美術雑誌《中央美術》(1915‐36)の主宰者田口掬汀(1875‐1943)が金鈴社を結成して改革を求めた。これに続いて18年には,京都市立絵画専門学校での竹内栖鳳門下から,土田麦遷,村上華岳,榊原紫峰,小野竹喬,野長瀬晩花(のながせばんか)(1889‐1964)の5名が,栖鳳と中井宗太郎を顧問に国画創作協会を結成して独立し,後期印象派への関心のうちに,清新な作品を生み出すことになる。…
※「吉川霊華」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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