吉書始(読み)きっしょはじめ

精選版 日本国語大辞典 「吉書始」の意味・読み・例文・類語

きっしょ‐はじめ【吉書始】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 武家故実の一つ。公家吉書の奏にならったもので、年頭(多くは正月二日)および仕官改元あるいは将軍職に新しく補任されたときなどに、慶賀しるしとして吉書を出した儀式。室町時代には、さらに将軍としてはじめて御判御教書を出す御判始と区別された。吉書。
    1. [初出の実例]「新造公文所吉書始也」(出典:吾妻鏡‐元暦元年(1184)一〇月六日)
  3. 正月の書初めに吉である日として暦に記されている日。また、書初め。試筆。吉書。
    1. [初出の実例]「未刻、吉書始して則手習」(出典:大館常興日記‐永祿一一年(1568)正月一日)
    2. 「暦には吉書初といふ日あり」(出典:俳諧・改正月令博物筌(1808)正月)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「吉書始」の意味・わかりやすい解説

吉書始 (きっしょはじめ)

吉書とは,物事の改まったのち,吉日良辰を選んで奏聞する文書である。そして吉書を奏覧する儀式を朝廷では吉書奏といったが,武家でもこの儀にならって,将軍が吉書に判(花押)をすえる儀式を吉書始と称した。平安時代,朝廷の吉書奏は,年首,政始(まつりごとはじめ),移徙(いし),改元,代替などに際して,清涼殿に出御した天皇に対して,弁官,蔵人または外記から吉書を奉上する儀式であった。武家の吉書始は,公家の吉書奏を模倣したものであるが,両者の間には多少の違いがあり,また鎌倉・室町両幕府の吉書始の内容にもそれぞれ若干の差異が認められる。鎌倉幕府においては,《吾妻鏡》によれば,元暦1年(1184)10月6日,新造が成った公文所の開庁に際して吉書始を行ったのを初見とし,その後,政所の開設や,年首,将軍代始,任官,改元等に吉書始を行っている。この儀の模様を同書にうかがうと,奉行に任ぜられたものが吉書を草し,清書して将軍の御前に進めて御覧に入れた。しかし,親王将軍時代以降になると,年首の吉書始を除けば,しだいに衰えていった。室町幕府においては,吉書始の儀礼化がみられた。これを行う時期や,その意図は,鎌倉幕府の場合と同じであるが,室町期においてとくに注目されるのは,年首恒例の吉書始である。これは毎年正月2日の管領邸御成始の際に行われ,神事農桑,貢賦に関する3ヵ条を書き立てた吉書に将軍が判をすえ,関東の7ヵ国(武蔵,相模,伊豆,駿河,甲斐,出羽,陸奥)の国々に下すのが例であった。そしてまた,吉書を進める役も,鎌倉幕府では奉行人のいずれかが時に応じて勤仕したようであるが,室町幕府においては吉書奉行という職名が定められ,斎藤,飯尾,松田の諸氏が代わる代わるこの奉行を務めた。なお,室町幕府では,将軍の代替すなわち就任後に初めて吉書に判を捺す儀を,とくに判始と称して,他の吉書始と区別するようになっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「吉書始」の解説

吉書始
(通称)
きっしょはじめ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
閏正月吉書始
初演
宝永5.1(京・早雲座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android