吉書とは,物事の改まったのち,吉日良辰を選んで奏聞する文書である。そして吉書を奏覧する儀式を朝廷では吉書奏といったが,武家でもこの儀にならって,将軍が吉書に判(花押)をすえる儀式を吉書始と称した。平安時代,朝廷の吉書奏は,年首,政始(まつりごとはじめ),移徙(いし),改元,代替などに際して,清涼殿に出御した天皇に対して,弁官,蔵人または外記から吉書を奉上する儀式であった。武家の吉書始は,公家の吉書奏を模倣したものであるが,両者の間には多少の違いがあり,また鎌倉・室町両幕府の吉書始の内容にもそれぞれ若干の差異が認められる。鎌倉幕府においては,《吾妻鏡》によれば,元暦1年(1184)10月6日,新造が成った公文所の開庁に際して吉書始を行ったのを初見とし,その後,政所の開設や,年首,将軍代始,任官,改元等に吉書始を行っている。この儀の模様を同書にうかがうと,奉行に任ぜられたものが吉書を草し,清書して将軍の御前に進めて御覧に入れた。しかし,親王将軍時代以降になると,年首の吉書始を除けば,しだいに衰えていった。室町幕府においては,吉書始の儀礼化がみられた。これを行う時期や,その意図は,鎌倉幕府の場合と同じであるが,室町期においてとくに注目されるのは,年首恒例の吉書始である。これは毎年正月2日の管領邸御成始の際に行われ,神事,農桑,貢賦に関する3ヵ条を書き立てた吉書に将軍が判をすえ,関東の7ヵ国(武蔵,相模,伊豆,駿河,甲斐,出羽,陸奥)の国々に下すのが例であった。そしてまた,吉書を進める役も,鎌倉幕府では奉行人のいずれかが時に応じて勤仕したようであるが,室町幕府においては吉書奉行という職名が定められ,斎藤,飯尾,松田の諸氏が代わる代わるこの奉行を務めた。なお,室町幕府では,将軍の代替すなわち就任後に初めて吉書に判を捺す儀を,とくに判始と称して,他の吉書始と区別するようになっている。
執筆者:二木 謙一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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