ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田玉助」の意味・わかりやすい解説
吉田玉助(3世)
よしだたますけ[さんせい]
[没]1965.2.22.
人形浄瑠璃文楽の人形遣い。本名小西奈良吉。1906年 3世吉田玉造に入門し,吉田玉小の名で堀江座に出座。一時吉田小玉を名のるが玉小に戻り,1916年 1世吉田玉幸となる。師匠と荒物遣いの名人と呼ばれた 4世吉田文三から多くを学び,当時若手花形の 2世桐竹紋十郎の相手役を数多く務め,1942年 3世吉田玉助を襲名する。1949年に文楽が二派に分裂してからは因会(ちなみかい)に所属し,1950年4月からは人形座頭に据えられ,3世吉田文五郎や 2世吉田栄三を相手に『絵本太功記』の武智光秀や『一谷嫩軍記』の熊谷直実などで,輪郭の大きな芸を披露した。1963年の文楽協会設立後も『仮名手本忠臣蔵』の大星由良助などの座頭役や,『摂州合邦辻』の合邦などの老け役を受け持ち,立役(男役)の第一人者であり続けた。決して器用ではなく,手数の多い素朴なしぐさを批判もされたが,抜群の風格を漂わせ,終戦直後の 1世吉田栄三の死から吉田玉男と 2世桐竹勘十郎の台頭までの長期間,文楽を代表する立役遣いだった。(→浄瑠璃,人形浄瑠璃)
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