吉見百穴(読み)ヨシミヒャクアナ

デジタル大辞泉 「吉見百穴」の意味・読み・例文・類語

よしみ‐ひゃくあな【吉見百穴】

埼玉県中部、比企郡吉見町にある横穴墓群。凝灰岩の丘陵斜面にあり、7世紀のもので、現在200個ほどが開口する。よしみのひゃくあな。よしみひゃっけつ。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「吉見百穴」の意味・読み・例文・類語

よしみ‐ひゃくあな【吉見百穴】

  1. 埼玉県比企郡吉見町所在の横穴群。凝灰岩質丘陵の斜面に約二三〇個の横穴が群在。人骨勾玉管玉、刀、鏃、須恵器埴輪などが出土した。古代人穴居の跡と考えられたことがあるが古墳時代後期の墳墓群であることが判明。大正一二年(一九二三国史跡指定。よしみひゃっけつ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「吉見百穴」の解説

吉見百穴
よしみひやくあな

[現在地名]吉見町北吉見

市野いちの川に面する標高四五メートルの凝灰岩質の丘陵斜面にある横穴墓群で、国指定史跡。明治二〇年(一八八七)坪井正五郎が地元の根岸武香・大沢藤吉らの援助を得て発掘調査を行い、二二三基の横穴を検出している。以来この横穴をめぐって坪井の穴居説、神風山人・秋乃舎色穂の墓穴説の論争学界を賑わし、その後も多くの考古学者により研究が展開された。第二次世界大戦中、史跡は地下工場となり、戦後は荒廃した。しかし昭和二五年(一九五〇)、地元に吉見百穴保存会が結成され整備が始まった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉見百穴」の意味・わかりやすい解説

吉見百穴(よしみひゃくあな)
よしみひゃくあな

埼玉県比企(ひき)郡吉見町に所在する横穴墓群。凝灰岩によって形成された標高50~60メートルの市野川に面する丘陵斜面には、現在237基の横穴が蜂の巣(はちのす)状に開口している。古くからその存在は知られていたが、1887年(明治20)に坪井正五郎(しょうごろう)によって発掘調査されている。当時古代人の穴居住居跡として報道され、一躍有名となったが、後の調査で古墳時代後期の横穴墓群であることが判明した。横穴の構造は羨門(せんもん)・羨道玄室より形成されるが、各部の簡略化が認められたり、羨道部が省略されたものもあり一様ではない。玄室には、壁に接して棺座を設けているものもあり、なかには2、3個の棺座をもつものがある。遺物には人骨をはじめ、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、小玉(こだま)、金環(きんかん)、直刀(ちょくとう)、鉄鏃(てつぞく)、刀子(とうす)、須恵器(すえき)、埴輪(はにわ)などの副葬品がある。1923年(大正12)に国の史跡に指定された(指定名称は「吉見百穴(ひゃっけつ)」)。なお、山裾(やますそ)の横穴はヒカリゴケ発生地として国の天然記念物に指定されている(指定名称は「吉見百穴(ひゃくあな)ヒカリゴケ発生地」)。

[後藤喜八郎]

『金井塚良一著『吉見百穴横穴群の研究』(1975・校倉書房)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「吉見百穴」の意味・わかりやすい解説

吉見百穴 (よしみひゃっけつ)

埼玉県比企郡吉見町北吉見に所在する横穴墓で,現在230基ほどの横穴が開口している。古墳時代末(7世紀)の代表的な横穴墓群である。古くからその所在は知られていたが,1887年坪井正五郎が発掘調査し,コロボックルの住居跡として発表して以来,住居説,墳墓説の論争の舞台となり,一躍〈吉見の百穴(ひやくあな)〉として有名になった。遺跡は前方に市野川流域の大沖積地帯をのぞむ第四紀凝灰岩層からなる吉見丘陵の急斜面を利用してうがたれている。羨道部は高さ1.5m,横幅1mほどの方形を呈し,遠方からみるとその露出状況はハチの巣のようにみえる。玄室は高さ1.5m,横2m,奥行2~3mの規模のものが多く,左右または奥壁に沿って棺座が設けられており,天井はドーム形をしたものが多い。かつて直刀,金環,玉類,須恵器,埴輪などが出土したといわれる。現在は観光地として知られ見学者も多い。
横穴
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

国指定史跡ガイド 「吉見百穴」の解説

よしみひゃっけつ【吉見百穴】


埼玉県比企郡吉見町北吉見にある古墳時代後期(6~7世紀)の横穴墓群。「よしみひゃくあな」とも呼ばれる。凝灰岩でできた丘陵の斜面に219基の横穴が蜂(はち)の巣状に開口しており、穴の入り口は直径1m程度だが、内部はもう少し広くなっていることが多い。横穴は古墳と同様の石室の構造をもち、羨門(せんもん)・羨道・玄室からなっている。玄室は高さ1.5m、幅2m、奥行き2~3mが平均的な規模で棺座を設けたものがある。多くの穴の入り口には段差状の構造があり、緑泥片岩で作られた板状の蓋がはめ込まれていた。これは、後から穴を容易に開閉し、複数の台座状構造と合わせて、同一の穴に追葬が行われたことを示すものとされている。1923年(大正12)に国史跡に指定された。斜面下方の穴の中に自生する稀少種ヒカリゴケは天然記念物に指定され、保護されている。東武東上線東松山駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉見百穴」の意味・わかりやすい解説

吉見百穴
よしみひゃくあな

「よしみひゃっけつ」とも呼ばれる。埼玉県吉見町,荒川の支流市ノ川に面する比企丘陵の北斜面にある横穴古墳群。 200基あまりの横穴があり,1887年坪井正五郎によって,勾玉,鏡,金銀環,刀などの金具や土器類が発掘されて有名になった。坪井はこれを穴居跡としたが,のちの調査で古墳時代後期 (7世紀) の墓跡群であることが判明。一つの穴の大きさは2~3m四方,内部には2~3個の棺床がある。近くの柏崎台地には,4世紀の五領遺跡をはじめ,5~7世紀の古墳も多く,この付近の上古における集落発展を知ることができる。 1923年国の史跡に指定された。比企丘陵県立自然公園に含まれる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉見百穴」の解説

吉見百穴
よしみひゃくあな

埼玉県吉見町にある古墳後期の横穴墓群。市野川に臨む凝灰質砂岩の崖面に営まれ,200基をこえる横穴墓が確認された。1887年(明治20)坪井正五郎が地元の支援をうけて発掘。この調査を契機に「穴居説」と「墓穴説」の論争が行われ,学史的に著名。副葬品には,装身具類・武具類・土器類・円筒埴輪などがあり,6世紀の終りには横穴墓が営まれ始めていることが知られる。国史跡。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

事典・日本の観光資源 「吉見百穴」の解説

吉見百穴

(埼玉県比企郡吉見町)
荒川をめぐる旅100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android