吉野ケ里遺跡(読み)よしのがりいせき

精選版 日本国語大辞典 「吉野ケ里遺跡」の意味・読み・例文・類語

よしのがり‐いせき‥ヰセキ【吉野ケ里遺跡】

  1. 佐賀県神崎郡三田川町神崎町にまたがる彌生時代中心とする集落遺跡。住居跡や甕棺(かめかん)銅剣などを出土の他、「魏志倭人伝」中に見える楼観城柵を思わせる遺構が確認され、邪馬台国所在を探るための有力な手がかりとして注目されている。国特別史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版 「吉野ケ里遺跡」の解説

吉野ケ里遺跡
よしのがりいせき

佐賀県神埼 (かんざき) 郡神崎町・三田川町にある日本最大の弥生時代環濠遺跡
1986年以来発掘調査されている。弥生時代前期・中期の環濠は南北約200m,東西約120〜140mと推定され,環濠内に集落が形成された。環濠外に青銅器生産跡・墳丘墓・甕棺 (かめかん) 墓などがあり,それらを囲む総延長2.5km以上の外濠が丘陵裾部に作られ,約40haの外郭を形成している。弥生時代後期には濠をめぐらす内郭が2か所新たに作られ,それぞれ濠が張り出して望楼物見櫓)が建っていた。外濠の西には多数の高床倉庫があり,稲などの収穫物を貯蔵していたと考えられる。'97年に外濠から西へ約200mのところに,幅4.7mの濠が外濠とほぼ平行に約150mにわたって高床式倉庫を囲むように走っていることがわかった。環濠集落の面積約40haはさらに3ha増えることになった。中国の「新」時代の銅貨「貨泉」も,環濠集落外の後期の層から出土した。'98年には九州初の銅鐸が出土した。環濠の周囲には木柵や土塁などの防御的施設も備えており,同遺跡はこの地域の中核集落と考えられている。また奈良時代の官道跡や官衙 (かんが) 関連遺構も出土している。

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知恵蔵 「吉野ケ里遺跡」の解説

吉野ケ里(よしのがり)遺跡

佐賀県神埼郡で見つかった弥生時代の全期間にわたる約40haの大規模遺跡。1986年以来の調査で、一辺12.5mもある掘立柱建物や望楼、400棟もの建物、青銅器工房、長さ40mの墳丘墓、水田跡、三重の環濠、古式の銅鐸なども出土。99年には中国が源流という盛り土の祭壇、「市場か」との見方もある大倉庫群跡、2003年9月には銅剣が刺さった人骨が新たに確認された。魏志倭人伝が伝える30余の小国家の1つらしい。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

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