中国、戦国時代の兵法家。名は起(き)。その生涯については『史記(しき)』「孫子(そんし)呉起列伝」に詳しい。それによれば、衛(えい)(河南省)の人で兵法を好み、魯(ろ)で曽子(そうし)について儒学を学ぶ。のち魯の将軍となり、斉(せい)を破り戦功をあげるが、中傷にあって失脚。魏(ぎ)に逃れて文侯(ぶんこう)に仕え、秦(しん)を攻めて五城を落とす。西河の守に任ぜられ、政治家としての治績大いにあがる。文侯の死後、武侯(在位前395〜前370)に追われ、楚(そ)に亡命、悼(とう)王(在位前401〜前381)に仕える。宰相として改革を断行するが、旧勢力のクーデターにあい、非業の最期を遂げた。兵法書『呉子』を世に残したとされる。
[篠田雅雄 2015年12月14日]
中国の兵法書武経(ぶけい)七書の一つ。呉起の著作といわれてきたが、門下の作か、後人の手になる偽書か、諸説あって定まらない。『韓非子(かんぴし)』や『史記』によれば、『孫子』と並んで、戦国・秦漢(しんかん)の世に普及し、広く人々に読まれていたとあるが、それが現行の『呉子』6編であるかどうかもはっきりしない。中国最古の図書目録『漢書(かんじょ)』の「芸文志(げいもんし)」には『呉起』48編とみえ、宋(そう)の晁公武(ちょうこうぶ)(1105―1180ころ)『郡斎(ぐんさい)読書志』には「説、料敵、治兵、論将、変化、励士、凡(およ)そ六篇(ぺん)三巻」とある。また同書に「この六篇は唐の陸希声(りくきせい)が整理編集した」とあることから、編名に若干の相違はあっても、現行本が唐代以後読み継がれてきたとみなしてよさそうである。「漢志」所載の48編との関係についても、一部残存説、省略説、別個説、圧縮説など諸説あるが、いずれも推測の域を出ていない。内容的にみて、『孫子』が深遠ともいえる思想性をもつのに対して、『呉子』は儒家的色彩を帯び、深みに乏しいとされている。
[篠田雅雄 2015年12月14日]
『村山孚他著『中国の思想10 孫子・呉子・尉繚子・六韜・三略』(1967/改訂増補版・1973・徳間書店/改題『孫子・呉子』・徳間文庫)』▽『天野鎮雄他編・著『新釈漢文大系36 孫子・呉子』(1972・明治書院)』▽『金谷治他訳『中国古典文学大系4 老子・荘子・列子・孫子・呉子』(1973・平凡社)』▽『山井湧訳『全釈漢文大系22 孫子・呉子』(1975・集英社)』▽『野口定男他訳『中国古典文学全集5 史記 下 孫子呉起列伝』(1959・平凡社)』
中国古代の兵書。《孫子》と並んで日本の軍学にも大きく影響した。6編の内容は,人の和を説く基礎論から具体的な実践の技術にまで及ぶが,実戦の状況に詳しいことと将軍の資質を重んずることなどに特色がある。戦国初期の魏に仕えた呉起(?-前381)の作とされるが,実は呉起の兵法を伝えた後人の編集で,通行本は唐代の再編本である。
執筆者:金谷 治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
前440頃~前381頃
姓名は呉起。戦国時代の兵法家。衛の人。魯(ろ)に仕えて斉を破り,魏に仕えて秦を破り,楚(そ)に仕えて強兵に努めたが,貴族の反感を受けて殺された。孫子(そんし)と並び称される。『呉子』1巻がある。
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