棋士。日本棋院名誉客員。中国福建省生まれ。本名は泉、清源は字(あざな)。父は清(しん)朝の役人。12歳のとき、北京(ペキン)を訪れた岩本薫(1902―1999)六段に3子置いて勝ち、一躍天才少年の名を高めた。1928年(昭和3)来日、瀬越憲作(せごえけんさく)(1889―1972)(名誉九段)に入門し、1929年飛付(とびつけ)三段を許される。1933年本因坊秀哉(しゅうさい)(1874―1940)名人に先で対局、三々(さんさん)・星(ほし)・天元(てんげん)の布石を打って反響をおこし、また木谷実(きたにみのる)とともに「勢力」を主眼とした新布石法を開拓して注目を集めた。1939年から1956年の間に、当時の最高段者木谷実、高川格(かく)、藤沢朋斎(ほうさい)(1919―1992)、坂田栄男(えいお)らを十番碁で連破し、昭和碁界の実力第一人者の名をほしいままにした。1984年現役引退。門下に林海峯(りんかいほう)(1942― )九段がいる。
[河野直達]
『『呉清源打碁全集』全4巻(1973~1974・平凡社)』▽『『呉清源回想録 以文会友』(1984・白水社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…多少の曲折はあるものの,以後の碁界は日本棋院と,50年橋本宇太郎を総帥として独立した関西棋院とを軸として動いていく。
[現代の名棋士]
昭和前半の碁界は,1928年来日した北京生れの呉清源(1914‐ )の活躍が目を引く。33年木谷実(1909‐75)とともに世に問うた〈新布石〉はそれまでの布石の常識を根底から揺さぶり,碁に新しい座標を与えた。…
※「呉清源」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新