坂田栄男(読み)サカタエイオ

デジタル大辞泉 「坂田栄男」の意味・読み・例文・類語

さかた‐えいお〔‐エイを〕【坂田栄男】

[1920~2010]囲碁棋士東京の生まれ。昭和36年(1961)から本因坊タイトルを7連覇し、名誉本因坊資格を取得するなど、多くのタイトルを獲得。「カミソリ坂田」「シノギの坂田」などと称され、一時代を築いた。著書に「坂田一代」など。平成4年(1992)文化功労者

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坂田栄男」の意味・わかりやすい解説

坂田栄男
さかたえいお

[生]1920.2.25. 東京
[没]2010.10.22. 東京
囲碁棋士。23世本因坊。増淵辰子(8段)門下。1935年入段し,1946年 7段。翌 1947年前田陳爾ら 7棋士とともに日本棋院脱退,囲碁新社を結成したが,1949年復帰。1951年の第6期本因坊戦 7番勝負で,橋本宇太郎 9段(本因坊昭宇)に挑み,3勝4敗で敗れる。1955年 9段。1961年本因坊戦に再挑戦し,高川格 9段(本因坊秀格)の 10連覇を阻止して第16期本因坊となり栄寿と号した。1963年藤沢秀行から旧名人位を奪取,選手権制となってから初の名人・本因坊となる(→名人戦)。1964年 7冠を達成,年間成績 30勝2敗の記録を樹立。1965年に名人位,1967年に本因坊を林海峰に奪われた。生涯タイトル獲得数 64。通算成績 1117勝654敗16持碁。1978~86年日本棋院理事長。名誉日本棋院選手権者,名誉 NHK選手権者のほか,引退後名誉本因坊を名のることを許された。1980年紫綬褒章,1990年勲二等瑞宝章を授与され,1992年囲碁界初の文化功労者に選出された。(→本因坊

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂田栄男」の意味・わかりやすい解説

坂田栄男
さかたえいお
(1920―2010)

棋士。東京に生まれる。1929年(昭和4)増淵辰子(ますぶちたつこ)(1904―1993)六段に入門。1935年初段、1955年(昭和30)九段。1947年日本棋院を脱退し囲碁新社を結成したが、1949年復帰した。第1期、第4期、第6期最高位。第2期、第3期最強者となる。1961年高川格(かく)を破り、第16期本因坊を獲得、栄寿と号し、1967年まで7期連続本因坊を保持、名誉本因坊の資格を得る。第2期、第3期名人、日本棋院選手権(9回)、王座(6回)などタイトル獲得数は62を数える。第1期、第2期秀哉(しゅうさい)賞、昭和42年度、47年度最優秀棋士賞(棋道賞)、1979年紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章。1978年より日本棋院理事長。切れ味鋭い棋風で「かみそり坂田」とよばれた。1992年(平成4)文化功労者。2000年に引退。

[河野直達 2020年5月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂田栄男」の解説

坂田栄男 さかた-えいお

1920-2010 昭和-平成時代の囲碁棋士。
大正9年2月15日生まれ。昭和4年増淵辰子に入門。10年初段,30年9段。36年本因坊となり(号は栄寿),以後7連覇。38年名人位を獲得し,碁界初の名人本因坊となる。切れ味するどい棋風で「かみそり坂田」とよばれた。タイトル獲得数は64にのぼる。53年日本棋院理事長。平成4年文化功労者。12年引退。平成22年10月22日死去。90歳。東京出身。

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百科事典マイペディア 「坂田栄男」の意味・わかりやすい解説

坂田栄男【さかたえいお】

囲碁棋士。東京都大森に生まれる。増淵辰子八段に入門。本因坊戦7連覇で本因坊栄寿と号した。二十三世本因坊。呉清源と並んで昭和の最強棋士とされ,カミソリ坂田と呼ばれた。1964年から67年にかけての本因坊戦などで,藤沢秀行,高川格,林海峰らを退け17連勝を飾る。日本棋院理事長,同顧問を歴任

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