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六如 りくにょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

六如
りくにょ

[生]享保19(1734).近江,八幡
[没]享和1(1801).3.10. 京都
江戸時代中期~後期の学僧漢詩人。俗称は苗村氏。名,慈周。号,六如庵,白楼。六如は字で「ろくにょ」とも読む。父は医師苗村介洞。 11歳で比叡山において剃髪,仏学を修め,また彦根藩の儒者野村東皐詩文を学んだ。新奇な詩材や表現を好み,写実的な宋詩風の詩を鼓吹した。輪王寺門主の公遵法親王に従ってたびたび江戸に下り,江戸の詩人とも交遊した。『六如庵詩鈔』 (1783~1827) ,『葛原詩話』 (1787~1804) がある。

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デジタル大辞泉の解説

りくにょ【六如】

[1734~1801]江戸中期の天台宗の僧侶・漢詩人。近江の人。俗姓は苗村。名は慈周。六如は字。江戸寛永寺明静院、京都善光院住持。宋詩を範として新詩風を興したことで知られる。著作に「六如庵詩鈔」「葛原詩話」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

六如 りくにょ

1734-1801 江戸時代中期-後期の僧,漢詩人。
享保(きょうほう)19年生まれ。天台宗。江戸寛永寺明静院,京都善光院などの住持。野村東皐(とうこう),宮瀬竜門にまなび,宋(そう)風の詩を提唱して当時の詩風に影響をあたえた。享和元年3月10日死去。68歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。俗姓は苗村。法名は慈周。号は白楼,無着庵。著作に「六如庵詩鈔」「葛原詩話」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

りくにょ【六如】

1724‐1801(享保9‐享和1)
江戸中期の天台僧,漢詩人。僧侶としての名は慈周。六如は号。俗姓は苗村。近江の人。少年時に出家し,武州川越の喜多院で修行,のち比叡山や江戸の上野寛永寺に住んだこともあるが,生涯の大半を京都で過ごした。その間,1767年(明和4)から72年(安永1)まで,天台宗の内紛に連座して比叡山と寛永寺への立入りを禁止されたことがある。詩文は初め当時流行の古文辞派の唐詩風に従っていたが,のち宋詩風に転じた。江戸時代の漢詩史のうえで安永・天明ごろから顕著になる,古文辞派の没落,宋詩風の興隆の風潮に先鞭をつけた代表的な詩人である。

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大辞林 第三版の解説

りくにょ【六如】

1734~1801) 江戸中・後期の漢詩人、天台の学僧。名は慈周、六如は字あざな。近江の人。詩を宮瀬竜門に学び、宋詩を範として新詩風を興した。著「六如庵詩鈔」「葛原詩話」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

六如
りくにょ
(1734―1801)

江戸中期の漢詩人。名を慈周(じしゅう)、字(あざな)を六如、号を白楼(はくろう)・六如庵(あん)。近江八幡(おうみはちまん)(滋賀県)の医者苗村介洞(なえむらかいどう)の子として生まれる。11歳で天台宗の僧侶(そうりょ)となり、長じて学僧として重んじられ、京都と江戸との間を往復する生涯を送った。漢詩人としては、一世を風靡(ふうび)した荻生徂徠(おぎゅうそらい)一門の古文辞(こぶんじ)格調派の詩風に飽き足らず、自己の真情を率直に表現する詩風をみせて、江戸時代後期の詩風革新の先駆けとなった。『六如庵詩鈔(ししょう)』3編(1783~1823)、『葛原詩話(かつげんしわ)』2編(1787~1804)などの著作がある。[揖斐 高]
『富士川英郎著『江戸後期の詩人たち』(1973・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の六如の言及

【六如】より

…僧侶としての名は慈周。六如は号。俗姓は苗村。…

※「六如」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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