嘉麻(市)(読み)かま

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

嘉麻(市)
かま

福岡県中部にある市。2006年(平成18)、山田市と嘉穂(かほ)郡稲築町(いなつきまち)、碓井町(うすいまち)、嘉穂町が合併して成立。市名は古代以来の嘉麻郡の郡名による。南部は朝倉(あさくら)市との境にそびえる古処(こしょ)山、馬見(うまみ)山などに続く山地。上流部を嘉麻川ともいう遠賀川(おんががわ)が、南東端の朝倉郡東峰(とうほう)村境にある嘉麻峠に発し、市域中央を貫流。同川や支流山田川などの流域に平地が広がる。JR後藤寺(ごとうじ)線が北端部をかすめ、下鴨生(しもかもお)駅がある。国道211号が遠賀川沿いに縦走し、大隈町(おおくままち)地区で322号と交差する。
 遠賀川の上流域は早くから開け、馬見の鎌田原(かまだばる)弥生墳墓群や漆生(うるしお)の沖出(おきで)古墳(4世紀末)は県指定史跡。『日本書紀』にみえる鎌屯倉(かまのみやけ)は市域に所在したとみられる。7世紀に碓井封(うすいのふう)が観世音(かんぜおん)寺(太宰府市)に施入されたのを皮切りに、市域には筥崎(はこざき)宮領益富(ますとみ)荘、宇佐弥勒(みろく)寺領漆生荘、岩崎(いわさき)荘、比叡山延暦寺領嘉麻荘などの荘園が成立。これら諸荘の年貢米搬送には遠賀川が利用された。中世、嘉麻郡の南境に位置する馬見・千手(せんず)などが、交通、戦略上の要地となり、南北朝期~戦国期には千手城に拠った千手氏、鷺山城(さぎやまじょう)の秋穂氏のほか、秋月氏、豊後の大友氏、中国地方の大内氏、毛利氏などが攻防を繰り返した。1579年(天正7)秋月氏が一帯を掌握、益富城を支城とした。古くは「おぐままち」といった益富城下の大隈町は秋月街道と日田街道が交差する要衝で、定期市(三斎市)が開かれ、宿場町としても発展する。しかし、1587年、豊臣秀吉の九州平定軍に攻略され、この時、秀吉が大隈町の町衆に与えたという陣羽織(国指定重要文化財)が残る。江戸時代は福岡藩領、秋月藩領などに所属。大隈宿は人馬の通行で賑わい、秋月街道に千手宿も設けられた。江戸後期には福岡藩は石炭仕組を実施し、嘉麻郡など4郡の石炭を遠賀川経由で福岡・博多市中に回漕させた。当地では、下臼井(しもうすい)村の舟場が石炭輸送の拠点として繁栄。明治中期頃から、上下の山田炭鉱、熊田(くまだ)炭鉱、平山(ひらやま)炭鉱、三井山野(みついやまの)炭鉱など、多くの炭鉱が稼動し、筑豊炭田南部の炭鉱町として発展、1895年(明治28)には筑豊鉄道の飯塚~臼井間が開通、1903年には飯塚~上山田間で旅客営業を開始(のちの国鉄上山田線)。しかし、昭和30年代以降、石炭合理化政策により炭鉱は相次いで閉山となる。人口は激減し、炭鉱町としての歴史は閉じられた。
 現在の基幹産業は農業で、水田耕作、果樹・野菜栽培、キクなどの施設園芸や酪農も盛ん。また炭鉱閉山以降、縫製、印刷、食品など軽工業の工場を誘致、近年は自動車関連工場なども進出している。山野の若八幡神社(わかはちまんじんじゃ)で行われる「山野の楽(がく)」は、河童祭りともよばれ、県指定無形民俗文化財。例年10月には、1988年(昭和63)に廃線となった上山田線を利用したイベント(トロッコフェスタ)も開かれる。古処山、馬見山一帯は筑後川県立自然公園の指定域。面積135.11平方キロメートル、人口3万8743(2015)。[編集部]

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