安国寺(読み)あんこくじ

百科事典マイペディアの解説

安国寺【あんこくじ】

京都府綾部市にある臨済宗東福寺派の寺。本尊釈迦如来。もと光福寺と称していたが,足利尊氏足利直義(ただよし)兄弟の〈安国寺・利生塔〉建設のなかで,1342年〜1350年ころ安国寺と改称。尊氏・直義の母清子は上杉荘(現綾部市)を名字の地とする上杉氏の出で,ここで生まれ育ち,光福寺を氏寺とした。この関係から安国寺とされたのであろう。当寺は諸国安国寺の筆頭として室町幕府の保護が厚く,1371年には諸山,1414年には京都十刹に列した。上杉朝定書状・足利尊氏寄進状を含む安国寺文書を蔵する。
→関連項目綾部[市]

安国寺【あんこくじ】

広島県福山(ふくやま)市にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊阿弥陀三尊は胎内銘から1274年に金宝(こんぽう)寺の像として造作が始められたもの。南北朝期に法灯国師覚心を開山に招いて,備後(びんご)国安国寺としたと考えられる。戦国期安国寺恵瓊(えけい)が再興。釈迦堂(現本堂)・本尊の木造阿弥陀如来像と胎内納入品及び両脇侍立像・木造法灯国師座像と胎内納入品は重要文化財。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

あんこくじ【安国寺】

足利尊氏・直義兄弟は,夢窓疎石の勧めにより,元弘以来の戦死者の霊をとむらい平和を祈願するため,1338年(延元3∥暦応1)ころから貞和年間(1345‐50)の約10年ほどの間に,全国66ヵ国2島に1寺1塔を設け,各塔婆には朝廷から賜った仏舎利2粒を納めた。ついで,1345年(興国6∥貞和1)2月6日の光厳上皇の院宣によって,安国寺・利生(りしよう)塔と名付けられた。このうち利生塔は,真言天台など旧仏教の大寺に設ける方針であったが,山城,相模,駿河などでは五山派の禅寺に設けられた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

あんこくじ【安国寺】

足利尊氏・直義が国分寺の制にならって全国に設けた臨済宗の寺。夢窓国師のすすめによるもので、元弘以来の戦死者を弔い平和を祈願するために建立されたが、十分に目的は達せられず、廃絶したものが多い。その舎利塔を利生塔と称する。
鎌倉市にある日蓮宗の寺。日蓮が「立正安国論」を草した場所として有名。安国論寺。
不動院ふどういんのこと。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の安国寺の言及

【国府】より

…律令制下における国の官衙(かんが)の所在地。史料的には〈国府〉〈国衙〉はいずれも国の官衙を指すが,現在では国衙は官衙を,国府は国衙の周囲に広がる計画的な都市を示す用語として使うことが多い。7世紀後半における国‐国司制の施行とともに諸国に設けられた。国衙は国の支配の拠点で,国司(守,介,掾,目)が中央政府から派遣されて駐在し,国の行政,司法,軍事,宗教などのあらゆる面を統轄した。また役夫や兵士が上番していた。…

【鎮護国家】より

…そして,仏は正法の興隆を仁王に付嘱したと説く《仁王般若経》に基づき,仁王大斎や仁王講経が,陳代を通じて宮中で行われ,智顗(ちぎ)も講じた。隋・唐時代には,大興国寺とか大安国寺あるいは鎮国寺といった名称の寺院が各地に造建され,鎮国道場が開かれたが,とくに新しく《仁王護国般若経》を漢訳し密教に立脚した不空が国のために灌頂道場をおくにいたって,仏教の鎮護国家化は頂点に達した。 日本においてはこれらの動向をうけて660年(斉明6)5月に仁王会が行われ,677年(天武6)11月には諸国で《金光明経》《仁王経》の講説が行われ,宮中においても《金光明経》が講説されるにいたり,以後律令国家成立に密接な関係をもつようになった。…

※「安国寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

上意下達

上位の者や上層部の命令・意向を、下に伝えること。⇔下意上達。[補説]この語の場合、「下」を「げ」とは読まない。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

安国寺の関連情報