日本歴史地名大系 「四日市村」の解説
四日市村
よつかいちむら
現宇佐市域の西部中央に位置する。地名は四日に定期市が開かれていたことに由来するといわれ、古くから開けた地であったと思われる。戦国時代には南西方
「豊前志」には「四日市ははやくは茅萱生ひたる原野なりしが、明徳の頃よりはじめて開かれそめつゝ、家居もかつがつ出で来りたる」とあり、享保一〇年(一七二五)に前出渡辺氏の子孫渡辺綱幹が記した「四日市村年代記」の序文によれば、当村は明徳四年(一三九三)の草創という。なお同書によれば、渡辺氏は肥前国
四日市村
よつかいちむら
- 鳥取県:米子市
- 四日市村
日野川東岸となったかつての村域では荒蕪地の再開発が進められた。寛永期(一六二四―四四)から旧毛利氏家臣で
四日市村
よつかいちむら
四日市村
よつかいちむら
四日市村
よつかいちむら
四日市村
よつかいちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報