日本古代,中央において重大事が発生した際,伊勢国鈴鹿関,美濃国不破関,越前国愛発(あらち)関(のちに近江国逢坂関にかわる)の三関を固めること。養老5年(721)12月元明太上天皇が没したとき,最初の固関が行われた。以後神亀6年(729)2月左大臣長屋王の謀反密告,天平勝宝8年(756)5月聖武太上天皇の没,天平宝字8年(764)9月の恵美押勝の反乱等,天皇・太上天皇の病・没・譲位,謀反等の重大事が中央でおこった場合,固関使を三関国に派遣して関門を閉じ交通を遮断させた。事態終了後は関を開いたが,これを開関という。固関は京に反乱がおこった際,あるいは天皇が没する等の政情不安定なときに,反乱者が東国に入り,そこを拠点とすることを防ぐという軍事的目的をもつものであった。三関は延暦8年(789)7月廃絶されたが,それ以後も固関は行われた。しかし平安時代中ごろから形式化,儀式化していき,江戸時代天保年中まで存続した。
→関所
執筆者:館野 和己
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代,国家の非常時に三関(さんげん)を閉じ,警固すること。三関とは伊勢国鈴鹿(すずか)関(三重県亀山市)・美濃国不破(ふわ)関(岐阜県関ケ原町)・越前国愛発(あらち)関(福井県敦賀市)で,天皇・上皇の死去,謀反などの際に固関使がこれらの国に派遣され,関を閉じた。三関は789年(延暦8)に廃止されたが,その後も有事には固関が行われ,まもなく近江国逢坂(おうさか)関(滋賀県大津市)が愛発関に代わった。有事に際し,謀反を企てた者が東国にのがれ,そこを拠点とすることを防止するのが目的であった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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