固関(読み)コゲン

デジタル大辞泉 「固関」の意味・読み・例文・類語

こ‐げん【固関】

平安時代天皇譲位崩御、または国内動乱などの大事件の際、諸国関所を警固させたこと。特に、逢坂おうさか(初めは越前愛発あらち)・鈴鹿すずか不破ふわ三関を固めること。こかん。⇔開関かいげん

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精選版 日本国語大辞典 「固関」の意味・読み・例文・類語

こ‐げん【固関】

  1. 〘 名詞 〙 奈良・平安時代、朝廷での大きな儀式、または国内騒乱などがあったとき、政府から使いを遣わして、諸国の関所を警固させること。とくに、逢坂(おうさか)(初めは越前愛発)・鈴鹿不破の三関所を固めることをさす。こかん。⇔開関(かいげん)
    1. [初出の実例]「固関事」(出典:西宮記(969頃)一二)

こ‐かん‥クヮン【固関】

  1. 〘 名詞 〙こげん(固関)

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改訂新版 世界大百科事典 「固関」の意味・わかりやすい解説

固関 (こげん)

日本古代,中央において重大事が発生した際,伊勢国鈴鹿関,美濃国不破関,越前国愛発(あらち)関(のちに近江国逢坂関にかわる)の三関を固めること。養老5年(721)12月元明太上天皇が没したとき,最初の固関が行われた。以後神亀6年(729)2月左大臣長屋王の謀反密告,天平勝宝8年(756)5月聖武太上天皇の没,天平宝字8年(764)9月の恵美押勝反乱等,天皇・太上天皇の病・没・譲位,謀反等の重大事が中央でおこった場合,固関使を三関国に派遣して関門を閉じ交通を遮断させた。事態終了後は関を開いたが,これを開関という。固関は京に反乱がおこった際,あるいは天皇が没する等の政情不安定なときに,反乱者が東国に入り,そこを拠点とすることを防ぐという軍事的目的をもつものであった。三関は延暦8年(789)7月廃絶されたが,それ以後も固関は行われた。しかし平安時代中ごろから形式化,儀式化していき,江戸時代天保年中まで存続した。
関所
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「固関」の解説

固関
こげん

古代,国家の非常時に三関(さんげん)を閉じ,警固すること。三関とは伊勢国鈴鹿(すずか)関(三重県亀山市)・美濃国不破(ふわ)関(岐阜県関ケ原町)・越前国愛発(あらち)関(福井県敦賀市)で,天皇・上皇の死去,謀反などの際に固関使がこれらの国に派遣され,関を閉じた。三関は789年(延暦8)に廃止されたが,その後も有事には固関が行われ,まもなく近江国逢坂(おうさか)関(滋賀県大津市)が愛発関に代わった。有事に際し,謀反を企てた者が東国にのがれ,そこを拠点とすることを防止するのが目的であった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「固関」の意味・わかりやすい解説

固関
こげん

古代,国家の重大事に際し,勅使 (固関使) を出して諸国の関所を警固させたこと。特に天皇の譲位,崩御,そのほか内乱に際しては,伊勢国鈴鹿,美濃国不破,越前国愛発 (あらち。のち近江国逢坂) の三関の警備を厳重にした。これに対し,固めていた警備を解いて関を開くことを開関 (かいげん) といった。これは平安時代後期には形式化していった。

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