大喪(読み)タイソウ

デジタル大辞泉 「大喪」の意味・読み・例文・類語

たい‐そう〔‐サウ〕【大喪】

大喪の礼」の略。
旧制で、天皇太皇太后皇太后皇后の喪に服すること。たいも。

たい‐も【大喪】

たいそう(大喪)

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精選版 日本国語大辞典 「大喪」の意味・読み・例文・類語

たい‐そう‥サウ【大喪】

  1. 〘 名詞 〙 天皇・太皇太后・皇太后・皇后の喪に服すること。たいも。
    1. [初出の実例]「且国家大喪ある毎に、此令を設けば、囹囲の囚縲、君上の不諱を悦び待たざるを不得」(出典:公議所日誌‐一八・明治二年(1869)六月)

たい‐も【大喪】

  1. 〘 名詞 〙たいそう(大喪)

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改訂新版 世界大百科事典 「大喪」の意味・わかりやすい解説

大喪 (たいそう)

天皇,皇后等の葬儀。1924年制定の皇室喪儀令において,天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死を崩御と称し,その葬儀を大喪と規定した。天皇の埋葬については,古くは明らかではないが,大規模な古墳にみる葬法と同様であったとみられる。しかし持統天皇の葬儀に当たり,初めて火葬が用いられ,以後二,三の例外を除いて江戸時代初頭まで火葬が用いられたが,後光明天皇のとき表向きは火葬を,実際には土葬を用い,孝明天皇のとき名実ともに土葬になった。天皇の葬儀に当たっては,殯宮(もがりのみや)を作って,斂葬(れんそう)(葬送)の日まで遺体を安置するが,古くはおおむね1年前後が例で,天武天皇のときは2年余に及ぶ異例であったが,火葬の風とともに簡略化され,30日余りとなった。葬儀が仏式によった確実な初例は聖武天皇の葬儀であるが,以後孝明天皇の葬儀に至るまで仏式が用いられた。この間,平安・鎌倉時代を通じて,葬儀は所縁のある寺院において行われたが,南北両朝分裂後の北朝の後光厳天皇以後,孝明天皇に至るまで京都泉涌(せんにゆう)寺で行われた。明治維新後,孝明天皇の三年祭に当たり,神式で行うとして以来,宮中における葬儀は神式となり,1897年の英照皇太后,1912年の明治天皇の葬儀も神式で行われ,同時に葬儀の次第もほぼ定着し,やがて皇室喪儀令が制定され,大正天皇の葬儀は同令によって行われた。第2次大戦後,皇室典範等の改廃が行われたが,51年の貞明皇后の葬儀は大喪儀と称し,旧皇室喪儀令の規定に準拠して行われた。なお1909年制定の皇室服喪令によると,天皇以下皇族の服喪の期間を規定し,天皇が大行天皇没後,追号制定以前の称),太皇太后,皇太后,皇后の喪に服することを大喪(たいも)といった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大喪」の意味・わかりやすい解説

大喪
たいそう

大行(たいこう)天皇(死後まだ諡(おくりな)の贈られない間の先代の天皇の称)、太皇太后、皇太后、皇后の喪葬を行うこと。一周年祭を終えて御霊代(みたましろ)を皇霊殿に奉遷するまでの諸儀をいうが、とくに葬儀当日の諸儀を大喪儀とよぶ。皇室服喪令(1909)では、その期間中、皇族および一般は喪に服し、また諒闇(りょうあん)とよぶ1年間の喪が定められていた。大行天皇、太皇太后、皇太后の大喪では、天皇が喪主となり、皇后の大喪では、皇太子または皇太孫が喪主となった。大喪に関する事務は、宮中に内閣総理大臣管下の大喪使が設置され管掌した。第二次世界大戦後、皇室服喪令は廃止され、皇室典範では、1949年(昭和24)の改正で、天皇が崩じたときに大喪の礼を行うことが定められた。しかし、大喪の語は天皇のみに限定されておらず、51年の貞明(ていめい)皇后の葬儀は大喪と称され、国民の服喪はなかったが、諸儀は国葬に準ずる大喪儀として行われて、天皇は1年間の喪に服した。なお、89年(平成1)2月24日、昭和天皇の大喪の礼が新宿御苑で行われた。

[村上重良]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大喪」の意味・わかりやすい解説

大喪
たいそう

天皇が大行天皇 (たいこうてんのう) ,太皇太后,皇太后,皇后の喪に服すること。 1909年の皇室服喪令に規定されていた。 47年制定の新「皇室典範」では,天皇の崩御のときだけに大喪の礼を行うと規定されている (25条) 。

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百科事典マイペディア 「大喪」の意味・わかりやすい解説

大喪【たいそう】

国葬

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普及版 字通 「大喪」の読み・字形・画数・意味

【大喪】たいそう

王の葬儀。

字通「大」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の大喪の言及

【大喪】より

…天皇,皇后等の葬儀。1924年制定の皇室喪儀令において,天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死を崩御と称し,その葬儀を大喪と規定した。天皇の埋葬については,古くは明らかではないが,大規模な古墳にみる葬法と同様であったとみられる。…

【皇室服喪令】より

…皇室の服喪の制は,大宝・養老の喪葬令(そうそうりよう)の規定に準拠しながら,時勢の推移に応じ,武家の慣行も加味して運用されてきたが,1909年皇室服喪令が制定されるに及び,ようやく一定した。同令は総則,大喪,宮中喪,喪期区分の4章33条より成る。すなわち天皇が大行天皇(没後追号以前の尊称),太皇太后,皇太后,皇后の喪に当たるのを大喪(たいそう)といい,とくに大行天皇,皇太后および生母たる太皇太后の大喪を諒闇(りようあん)(期間1年)とし,大喪以外の天皇の服喪を宮中喪とする。…

【昭和天皇】より

…こうした〈天皇現象〉に,諸外国のマスコミもいっせいに批判的報道を行った。 天皇は,89年1月7日,死去したが,この日から3日間服喪のためテレビ報道などが自粛され,2月24日には,大喪が国事行為として挙行され,世界164ヵ国の代表が列席した。政府はその参加がユーゴの故チトー大統領の国葬への参列121ヵ国を上回る史上最大のものであることを〈大国日本〉の証として誇った。…

※「大喪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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