地中海(Mediterranean Sea)(読み)ちちゅうかい(英語表記)Mediterranean Sea 英語

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

地中海(Mediterranean Sea)
ちちゅうかい
Mediterranean Sea 英語
Mare Internum ラテン語

ヨーロッパ、アジアおよびアフリカの三大陸に囲まれた世界最大の内海。ヨーロッパ地中海ともいう。広い意味では黒海を含む。この場合、面積は約300万平方キロメートル、東西の長さ約3860キロメートル、南北の平均の幅は約700キロメートルである。西はジブラルタル海峡によって大西洋に通じ、南東部はスエズ運河によって紅海に通じている。黒海と狭義の地中海とでは海況、気候などの自然的条件や周辺民族の歴史的、文化的条件に差異がみられるので、ここでは主として狭義の地中海を取り上げ、黒海については別項を設ける。なお、特定の地名とは別に、大洋の縁辺にあって、いくつかの大陸に囲まれた小さな海を地中海mediterranean seaという。

[竹内啓一]

地形

狭義の地中海は、イタリア半島部およびシチリア島によって二つの部分、すなわち東地中海と西地中海とに分けられる。東地中海は、アドリア海イオニア海、ガベス湾、シルテ湾、クレタ(カンディア)海、エーゲ海レバント海などからなっている。西地中海には、バレアレス海ティレニア海リグリア海などが含まれる。地質学的にみると、黒海を含む現在の地中海は、石炭紀から第三紀初めまで存在していた広大な海域が第三紀造山運動によって狭められたものである。したがって広義の地中海は、主として第三紀造山運動によって形づくられた山系によって縁どられ、くぎられていることになる。それが不安定な地塊であることは、地中海地域に地震が多く、火山活動が盛んなことからもわかる。西アジア沿岸およびアフリカ沿岸に比して複雑なヨーロッパ沿岸の地形は、第三紀以降のより複雑な地殻運動を反映している。

 西地中海にはコルシカ島サルデーニャ島、シチリア島の三つの大きな島以外には、バレアレス諸島トスカナ諸島リパリ諸島などがある。東地中海にはクレタ、キプロスの二つの大きな島以外に、キクラデス諸島ドデカネス諸島をはじめ、数からいえば西地中海よりはるかに多くの小島が存在する。

 地中海の海底地形をみると、構造的な海盆として、ヘラス舟状海盆、イオニア海盆、ティレニア海盆、アルジェリア海盆があるが、もっとも深いのはイオニア海盆とヘラス舟状海盆で、いずれも深度は4000メートルを超える。流入する河川としては、最大のものがナイル川で、東地中海に広大なナイル海底扇状地を形づくっている。広大な地向斜をなすアドリア海の海底には、旧ポー川の複状扇状地が、その旧水路とともに確認される。

[竹内啓一]

気候

ヨーロッパとアフリカとアジアとに囲まれた地中海に、気候学でしばしば用いられる「地中海式気候」という用語の起源があることをみてもわかるように、地中海地域の大部分が、夏乾燥し、降水の大部分が秋から春の間にもたらされ、かつ年間の降水量が、大陸西岸気候やモンスーン気候のもとにおけるよりもずっと少ない。たとえばローマの平均気温は7月23.9℃、1月が8.4℃、降水量は7月が8.5ミリメートル、11月が93.3ミリメートルである。このことは、地中海地域の植生、地形などの自然環境を考える場合に重要な意味をもつ。沿岸部および河川の流域を除けば、夏の乾燥のために一年生植物の植生は貧困で、作物に関しても、ブドウ、オリーブやコルクガシなどの樹木農業のほかは、夏に非灌漑(かんがい)耕地で栽培される作物はトマトなどに限られ、その種類が非常に少ない。他方、地中海地域独自の集約的農業として、地中海式園芸農業と樹木農業とがある。樹木作物のなかで、とくにオリーブは、その分布がいわゆる地中海式気候の範囲と非常によく一致している。

 一般に地中海性気候とよばれているが、広大な地中海周辺の自然にはかなり局地性がある。まず高度の影響で、アトラス山脈、シエラ・ネバダ山脈、エトナ火山、中部アペニン山脈などの高山部には氷河や雪渓さえみられる。このような山地は、移牧民にとってしばしば夏の放牧地になっている。次に大きいのは南北の差であって、地形学的には地中海地域に属していても、バルカン半島の大部分と北イタリアのパダナ(ポー川流域)平野は、冬にはヨーロッパ内陸部と同様の寒冷な気候の下に入る。とくに、ヨーロッパ内陸部に高気圧、西地中海に低気圧が位置するときには、アドリア海沿岸のボラ、ローヌ川流域のミストラルのような冷たい局地風が吹く。また、地中海地域の南部は、北部に比べて一般に気温は高く、乾燥の度合いも甚だしい。地中海を低気圧が通過するとき、サハラ砂漠から吹き出してくる熱風はシロッコとよばれ、北イタリアにまでサハラの砂塵(さじん)を運んでくることもある。

[竹内啓一]

海況

狭義の地中海の海面水温は、夏季には南部や東部の湾域で27~28℃にするが、大部分は21~25℃である。冬季にはアドリア海北部で8℃ぐらいまで下がるが、エジプト、シリア沖では16℃より低下しない。中層・深層での水温が比較的高いのが、地中海水塊の顕著な性質である。海面からの蒸発が盛んで、この量が降水と河川からの流入の合計量より多いため、地中海の塩分は大西洋より高く、ジブラルタル海峡付近で濃度36.5psu、東部のレバント海で39psuである。

 ジブラルタル海峡の上層では、温度13℃以上で塩分約36psuの大西洋水が地中海に流入し、下層では温度13℃ぐらいで濃度37psu以上の高塩分地中海水が大西洋に流出して、大西洋深層水に多量の高塩分水を供給している。

 海流は表層流、中層流ともおおむね反時計回りの環流である。透明度が高く40~50メートルで、レバント海では60メートルに達することもある。水色は中央部でⅠ、エーゲ海でⅡと高く、明るい藍(あい)色である。潮差は陸地に囲まれているので各地とも小さいが、アフリカ沿岸では2メートルに達するところもある。

[半澤正男・高野健三]

地中海地域の社会と経済

山がちの地形によって分断され、局地的な単位で孤立していることもあって、地中海地域の社会にとって、地中海そのものが意味をもつのは限られた部分にすぎない。たとえば漁業であるが、確かに水産資源の種類は多いが、地中海地域における漁獲高は北海などに比してはるかに少なく、沿岸民や都市の上流階級は伝統的に魚もかなり消費していたが、地中海地域全体としてみれば、動物タンパク質源はヒツジ、ヤギなどの牧畜生産物である。海上交通による交易によって繁栄したのも、ベネチアジェノババルセロナなどの都市に限られていた。地中海が交通路として世界史において重要な意味をもったのは、古典古代、中世から16世紀までの東西地中海間の交易、それから、スエズ運河開通以降の時期であろう。地中海の多数の島にとって、海はむしろ隔絶性をもたらすものであったが、20世紀の観光業の発達によって、これらの島々は観光資源として新しい脚光を浴びるようになっている。

 近代工業文明が北海文明とさえいわれるように、近代の集約的農業はまず北西ヨーロッパにおいて発達し、産業革命後、その経済力によって世界を支配したのも、北海を囲む諸国であった。近代、現代における地中海地域は、北西ヨーロッパに比して相対的に後進地域にとどまることになった。イタリア、スペインが産業革命を経験したのは19世紀末から20世紀にかけてのことであり、北アフリカ、西アジアの多くの地域は、ヨーロッパ列強の植民地化の歴史を経験した。農村にはごく最近まで、あるいは現在においても、前近代的な生産関係に由来する社会関係が残っている。多くの地中海諸国は、住民の所得水準の低さ、したがって滞在費の安さゆえに、先進工業化諸国から多数の観光客が訪れ、同時にこれら地中海諸国は北西ヨーロッパ諸国に多数の出稼ぎ労働者を送り出し、観光収入と出稼ぎ収入はこれら諸国の国際収支において重要な役割を演じている。

[竹内啓一]

歴史

地中海における歴史的重要性は、とくに古代のギリシア・ローマ時代において顕著である。

[弓削 達]

エーゲ文明

地中海地方の最古の文明は、エーゲ文明と総称される。そのうち最初に栄えたのはクレタ文明である。クレタ人は、地中海の先住民(地中海民族とよばれることが多い)とリビア人やオリエント系の人々との混血とする説が有力であり、クレタ島を中心として青銅器文明をつくりだし、紀元前20~前15世紀にそれはもっとも栄えた。クレタ島の中心クノッソスには、上下水道、浴室などの高度な設備をもった宮殿遺跡が残っており、その壁画には、運動の描写に優れた海洋的な芸術が開花している。彼らの文字が未解読のため社会組織などはよくわからない。しかし、王は祭司王であったと考えられ、クレタ島各地に宮殿を構え、東地中海の海上交易を掌握していたと考えられる。彼らの絵文字はエジプトに由来するものとみられ、その文化にもオリエントの影響が強い。

 前二千年紀初め、インド・ヨーロッパ語族に属するギリシア人の移動の波が南下し、前1900年ごろギリシア本土に達し、前1600年ごろから前1200年ごろにわたって大小の王国を建てた。クレタ文明の成果を受け継いだこの文明をミケーネ文明とよぶ。これらのギリシア人は前1500年ごろクレタの王権を倒しそこにも定住した。前12世紀ごろギリシア人の第二波としてドーリス人が移動し、ペロポネソス半島南部やクレタ島、小アジア南西部に定住した。同じころ、「海の民」とよばれる雑多な諸民族からなる一団がトラキア方面から南下し、東地中海沿岸各地を攻撃し破壊した。この混乱のなかでミケーネ文明の諸王国は崩壊し、ギリシア系諸民族はギリシア本土やエーゲ海の島々、小アジアなどに広がって定住した。

[弓削 達]

ポリスから世界帝国へ

前1000年ごろ同じインド・ヨーロッパ語族の諸民族がイタリア半島にも南下、定住し、彼らのなかからテベレ川河口に定住した人々の建てたローマが数百年の間にイタリア半島に勢力を伸ばした。ギリシア人もローマ人もやがて都市国家(ギリシア人はこれを「ポリス」とよんだ)を形成し、ギリシア人は西地中海に至るまで沿岸各地に植民活動を行い、アテネを中心に栄えたギリシア文化とポリスは各地に広まった。しかし、ギリシア人のポリスは、ポリス相互の対立抗争が激しく、前5世紀初めのペルシアとの戦争の一時期を除いて一つにまとまることができなかった。そして、ポリスを形成しないギリシア人であるマケドニア王国のアレクサンドロス大王によって、前4世紀末に外から支配されるようになった。アレクサンドロス大王はインドに至るまで遠征し、これによってギリシア人の文化は東方各地の文化と融合し、ヘレニズム文化をつくりだした。ヘレニズム文化の栄えたヘレニズム時代(前3~前1世紀)には、アレクサンドリアが新しい文化の中心地となり、ここに図書館、研究所を中心に自然科学、哲学、文献学などが栄えた。

 しかし、前2世紀ごろより西方からローマの勢力が東方に伸び、それから200年ほどの間に、ローマは地中海全域を支配下に収め、「オイクメネー」(エクメネ。人間の住む限りの地という意味)を地中海世界とよびうるものたらしめた。しかし、紀元後3世紀より5世紀末までに、地中海世界を統合する力であったローマ帝国の統一力の弱化に伴い、そのなかに統合されていた各地方はしだいに固有の自主的発展を始め、やがて全体としては、オリエント的アラブ世界(西アジア)、ラテン的ゲルマン的世界(西ヨーロッパ)、ギリシア的スラブ的世界(ビザンティン)がそれぞれ独自の道を歩み始める。こうした発展のなかにあっても、地中海はつねにそれら諸世界をつなぐという機能を失わなかった。

[弓削 達]

中・近世の地中海

20世紀の前半にベルギーの歴史家ピレンヌは、イスラム教徒の進出が古代地中海世界の統一を壊し、古代から中世への転換の要因となったと主張したが、今日ではかならずしもそうは考えられていない。むしろ北アフリカと西地中海がイスラム教徒の勢力下に入った一方で、東地中海にはビザンティン帝国の勢力が強く、この両者を結ぶものとして、ギリシア人、シュリア(シリア)人、ユダヤ人の商人たちが活躍した。11、12世紀になると、北西ヨーロッパの農業生産力の増大に伴い商工業が発展し、ヨーロッパとイスラム世界との交易を、イタリア、南フランス、カタルーニャなどの商人が担当し、東西地中海を結合する役割を果たした。なかでも、ベネチア、アマルフィ、ガエタGaeta(中部イタリア、ラツィオ州の海港都市)、ナポリなどの商人は東地中海で活躍し、バルセロナ、ジェノバ、ピサなどの商人は、西地中海のイスラム勢力に対し武力を使いつつ商業活動を広げた。11世紀末以降の十字軍は、ヨーロッパ勢力の東への拡大であるとともに、進んだイスラムとギリシアの文化をヨーロッパに伝える機縁となり、「12世紀ルネサンス」とよばれるヨーロッパの文化的革新につながった。

 13、14世紀には、フランドルとイタリアの毛織物は東方の香料と取引され、紙、蝋(ろう)、皮革、穀物、みょうばん、オリーブ油、ぶどう酒などの多角的貿易が行われた。このころ、ジブラルタル海峡からイスラム勢力が撤退し、ヨーロッパのキリスト教世界にとって地中海地域からイングランド、フランドルへの航路が開かれた。14、15世紀には、ヨーロッパの「経済危機」のため地中海貿易は衰えたが、そのなかでベネチアのみは優位を保った。16世紀には東地中海ではオスマン帝国が強大化し、西地中海ではスペインがイスラム勢力を追い出してイタリアより優位にたち、1571年レパントの海戦でオスマン帝国を破った。これ以後17世紀にかけて、地中海諸地域は経済的に地盤低下し、イギリス、オランダが地中海に進出して国際貿易を支配するようになった。その背景にはイギリス毛織物工業の市場としてのトルコの重要性があった。

[弓削 達]

地中海の地政学

19世紀から20世紀前半までの地中海は、なによりもヨーロッパ列強の植民地支配のための戦略的重要性をもっていた。主としてイギリス、フランスの植民地経営のための通路であり、地中海を取り囲む地域は植民地経営の対象として列強の角逐の場ともなった。第二次世界大戦後の地中海の地政学的意義はかなり変化した。米ソ対立の冷戦時代にはNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)と東欧諸国の接触地帯として、地中海に対するアメリカの世界戦略の一環としての立場が基本的なものであった。しかし、ソ連、東欧社会主義国の崩壊とヨーロッパ諸国の統合化への動きのなかで、イタリア、ギリシア、スペイン、ポルトガル、オーストリアなどはヨーロッパ連合(EU)に加盟、さらにチェコやハンガリーなど東欧諸国の北大西洋条約機構(NATO)、EU加盟によってヨーロッパ統合の動きを加速した。他方、北アフリカ、西アジアの独立国は、そのアラブ主義、イスラム主義、産油国(リビア、アルジェリア)としての地位などによって、地中海の北側、あるいはヨーロッパ諸国と新しい関係をもつようになった。文化的にみれば、ラテン文化圏、ビザンツ文化圏、イスラム文化圏という異質な文化圏に属する地中海地域の多様性がますます顕在化してきているのが現在の事態であるということもできる。

[竹内啓一]

『和田勉著『地中海人間』(1975・日本放送出版協会)』『牟田口義郎著『地中海のほとり』(1976・朝日選書)』『並河亮著、並河萬里写真『地中海 石と砂の世界』(1977・玉川大学出版部・玉川選書)』『W・A・ニーレンバーグ、奈須紀幸他監修『小学館百科別巻2 海洋大地図』(1980・小学館)』『小川英雄、大岡昇平、馬場恵二他著『新潮古代美術館6 地中海文明の開花』(1980・新潮社)』『谷岡武雄著『地中海の都市を歩く』(1983・大阪書籍)』『F・ブローデル著、浜名優美訳『地中海』全5巻(1995・藤原書店)』『F・ブローデル編、神沢栄三訳『地中海世界』(2000・みすず書房)』『地中海学会編『地中海事典』(1996・三省堂)』『D・アッテンボロー著、橋爪若子訳『「図説」地中海物語――楽園の誕生』(1998・東洋書林)』『一橋大学地中海研究会著『地中海という広場』(1998・淡交社)』『歴史学研究会編『ネットワークのなかの地中海』(1999・青木書店)』『歴史学研究会編『古代地中海世界の統一と変容』(2000・青木書店)』『NHK「地中海」プロジェクト著『環地中海――民族・宗教・国家の噴流』(2001・日本放送出版協会)』『弓削達著『地中海世界』(講談社現代新書)』『高山博著『中世シチリア王国』(講談社現代新書)』


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