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坂下門外の変 さかしたもんがいのへん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

坂下門外の変
さかしたもんがいのへん

江戸時代末期の老中襲撃事件。大老井伊直弼が暗殺されたあと,幕政は老中安藤信正久世広周によって公武合体策が進められ,特に安藤は,その一環として皇女和宮を将軍家茂に降嫁させる方策を万延1 (1860) 年 11月に実現した (→和宮降嫁問題 ) 。

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デジタル大辞泉の解説

さかしたもんがい‐の‐へん〔さかしたモングワイ‐〕【坂下門外の変】

公武合体論を推進し、和宮降嫁を実現させた老中安藤信正が、文久2年(1862)水戸浪士を中心とする尊王攘夷(そんのうじょうい)派の志士に坂下門外で襲われた事件。

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百科事典マイペディアの解説

坂下門外の変【さかしたもんがいのへん】

1861年公武合体推進のため孝明天皇の妹和宮(かずのみや)降嫁を実現した老中安藤信正が,翌年1月15日江戸城坂下門外で尊攘派の水戸浪士6名に襲われ負傷した事件。
→関連項目明治維新

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世界大百科事典 第2版の解説

さかしたもんがいのへん【坂下門外の変】

1862年(文久2)1月,水戸浪士らが江戸城坂下門外で,登城途中の老中安藤信正(事件当時は信行)を襲撃した事件。1860年(万延1)3月,大老井伊直弼が殺害されたのち,幕閣の中心に立った信正は,尊王攘夷派の幕政批判を緩和するために,首席老中久世広周(ひろちか)と共に公武合体政策を推し進めた。その代表的なものは,孝明天皇に圧力をかけて,同年10月,皇妹和宮の将軍徳川家茂への降嫁の勅許を得たことであった。

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大辞林 第三版の解説

さかしたもんがいのへん【坂下門外の変】

1862年1月15日、水戸浪士を中心とする尊攘派が江戸城坂下門外に、老中安藤信正を襲い負傷させた事件。信正が公武合体論を唱え、和宮降嫁を実現させたことに憤激したもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

坂下門外の変
さかしたもんがいのへん

1862年(文久2)1月15日、水戸(みと)浪士と各地の志士が、江戸城坂下門外で、老中安藤信正(あんどうのぶまさ)を襲撃し、負傷させた事件。安藤信正は、大老井伊直弼(なおすけ)の遺策を継承して和宮(かずのみや)の江戸降嫁を実現させ、この年2月11日には婚儀が行われることとなっていた。これより先、安政(あんせい)の大獄で大きな打撃を受けた水戸・長州両藩の激派は、60年(万延1)3月の直弼暗殺(桜田門外の変)後も結合を強め、その7月には、江戸湾にあった長州軍艦丙辰(へいしん)丸で、幕閣の改造を目ざす盟約を結び、薩摩(さつま)の激派とも接触を深めた。おりから水戸浪士らは、61年5月、東禅寺英国仮公使館を襲撃したが、幕府のいっそうの弾圧を受けることになり、水戸藩内では保守派が勢力を得て、攘夷(じょうい)激派は立場を失った。そこで水戸藩の激派は、和宮降嫁の実現によって幕府の立場を有利にした安藤信正を直接要撃する計画に向かった。計画は、野村彝之介(つねのすけ)、原市之進(はらいちのしん)、下野隼次郎(しものはやじろう)、住谷寅之介(すみやとらのすけ)らの水戸藩士を中心に、宇都宮藩の尊攘派大橋訥庵(とつあん)ら、隣国下野(しもつけ)(栃木県)の志士との連合で進められた。大橋訥庵は、幕府の否定を説く王政復古論者で、立案の中心人物となり、安藤の斬奸(ざんかん)趣意書も執筆したとされている。訥庵夫人の弟の宇都宮商人菊池教中(きょうちゅう)、同じく児島強介(こじまきょうすけ)、下野国真岡(もおか)の小山春山(おやましゅんざん)、横田祈綱(のりつな)とその2子、河野顕三(こうのけんぞう)ら草莽(そうもう)の士が参画協力した。計画は事前に発覚、訥庵は1月12日に捕らえられたが、平山兵介ら3名の水戸藩士を中心とする6名が、15日に襲撃を決行、安藤を負傷させた。坂下門外の変は、単に井伊政権の亜流とされた安藤政権への反対運動ではなく、大橋訥庵のような王政復古論者や、地方小都市の商人、医師、学者など「草莽」とよばれた者の、幕府批判の運動でもあった。[河内八郎]

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