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大同法 だいどうほうTaedong-pǒp

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大同法
だいどうほう
Taedong-pǒp

朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 後期の貢物米穀に統一して収納させた税制度。従来の貢納制は貢納請負業者の中間搾取など幾多の弊害があったので,貢物を米穀で統一して徴収する大同法が李栗谷らによって主張されていた。大同法はまず宣祖 41 (1608) 年に京畿道に実施され,その後忠清,慶尚各道に,そして粛宗 34 (1708) 年に黄海道にも実施され,平安,咸鏡両道と済州島を除く全国に施行をみるまで,100年間が費やされた。大同法はその内容がきわめて繁雑で,次第にその運営に適正を欠くものが現れ,18世紀以降の民乱の原因ともなった。高宗 31 (1894) 年まで施行された。

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世界大百科事典 第2版の解説

だいどうほう【大同法】

朝鮮で李朝後期の17世紀に行われた税制・財政改革。李朝初期,農民たちは田税・軍役のほかに貢納・進上の負担を課された。貢納は政府各官庁の必需品,進上は王室の必需品を地方ごとに割り当て,現物で上納させる制度であり,その上納物は各種の鉱産物,水産物,手工業製品や毛皮,木材,果物など広範にわたった。その採取,生産や運搬は農民たちの労役でまかなわれ,田税よりもはるかに重い負担であった。やがて貢納は,貢納請負人が特産地等で購入して中央に上納し,その代価を農民たちから米や綿布で徴収する方法が広がったが,その代価はしばしば貢物価の数倍,数十倍に及んだ。

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大辞林 第三版の解説

だいどうほう【大同法】

一七世紀初め、朝鮮王朝において実施された税法。従来の現物貢納を地税に一本化し、中間搾取をおさえ、国家財政の確保をはかったもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大同法
だいどうほう

(り)氏朝鮮後期に行われた納税および財政制度。大同法施行以前は、各地方の特産物を戸別割に賦課し、貢納・献上させたが、これを田地税に改め、米、すなわち大同米(大同布地、大同銭などの代納も可)に統一して徴収した。中央には宣恵庁、各道には大同庁を設置し、1608年にまず京畿(けいき)道に試験的に実施、その後約100年にわたって全国的に拡大実施された。従来の貢物制が負担の不公平、生産されない特産物の割当て、官吏・代納者による暴利行為などの弊害が著しかったのでこれを廃止し、大同米、大同布地、大同銭で一括徴収するようにしたのである。一方、官の需要品は、政府が貢人、商人、百姓に代金を与えて調達することにした。課税率は道によって多少の差はあったが、ほぼ田地1結(けつ)(1結は稲約1万束がとれる土地)当り12~16斗が徴収された。山間地域での納税は、米5斗当り木綿地約1疋(ぴき)、米3斗は大同銭1両の割合で徴収された。しかし、18世紀後半に至り、中央政府の経費が著しく増大し、地方の経費はかつての戸別割の貢物制に戻ったため、所期の成果をあげることはできず、1894年に大同法は廃止された。[李  煕]

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世界大百科事典内の大同法の言及

【李朝】より

…しかも李朝初期には,そうした力役の比重のほうが生産物収取よりもはるかに大きく,それらの点で,李朝初期には古代的要素がなお根強く残されていた。
[中期――体制の動揺]
 この時期(1470‐1607)は士林派政権の確立(1565)に代表される新旧勢力の交替期であり,また大同法(1608)に至る社会変動の時期である。党争および士禍(1498,1504,1519,1545年の4回)がこの間の政治過程を特徴づけている。…

※「大同法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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