明治〜昭和期の僧侶 元・清水寺貫主;元・北法相宗管長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
法話を通して,仏教を今に生かす道を,大衆に説き続けた高僧。〈清水(きよみず)さん〉は清水の観音像を指すと共に同師の愛称であった。晩年は〈良慶さん〉と呼ばれ,宗派,宗教を超えて敬われた。幼名は広治。父広海,母咲枝の次男として奈良県多武峰(とうのみね)に生まれる。父は旧姓片岡,妙楽寺智光院の住職であったが,明治の排仏により還俗し大西姓を名のる。15歳で興福寺に入り,唯識を佐伯定胤(さえきじよういん)に学び,25歳で興福寺231代別当,40歳で清水寺住職となり,91歳で北法相(きたほつそう)宗を設立する。日露戦争に従軍僧として加わり,戦争が罪にならぬ道理はないと悟って,以後平和運動に専念する。1925年に同情週間を主唱するなど社会事業にも功績が多く,また日中友好に尽くして,趙樸初(ちようぼくしよ)と親交があった。著書に,《菜根譚講話》《夜船閑話講話》《坐禅和讃講話》《ゆっくりしいや》等があり,朝日社会福祉賞を受けている。
執筆者:勝村 哲也
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北法相宗管長。奈良県生まれ。俗名大西広次。郡山(こおりやま)中学で学んで、1889年(明治22)法相宗大本山の興福寺へ入寺。法隆寺勧学院で法相宗「唯識(ゆいしき)学」を学ぶ。1899年興福寺住職、大僧正に昇格、1905年法相宗管長。1914年(大正3)から京都の清水(きよみず)寺住職兼務、1942年(昭和17)から清水寺住職に専念する。1965年唯識の学風を高めるため、清水寺を本山とする北法相宗を創設。1954年宗教者、科学者約300人と京都仏教徒会議を結成して理事長を務める。1957年日本宗教者平和協議会会長に就任。老人福祉にも尽力し、1921年には京都で初の老人ホームを設立し、明治、大正、昭和と1世紀にわたる生涯を仏教の興隆に尽くし、世界平和と老人福祉に情熱を燃やした。1975年朝日社会福祉賞を受賞。1983年2月15日没。
[編集部 2017年5月19日]
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