改訂新版 世界大百科事典 「天王信仰」の意味・わかりやすい解説
天王信仰 (てんのうしんこう)
牛頭天王(ごずてんのう)に対する信仰。《簠簋(ほき)内伝》によると天界にあった天刑星が,地上に降りて,牛頭天王と名のり,南海に赴く。途中,巨旦(こたん)大王に宿を求め,断られるが,貧しい蘇民将来(そみんしようらい)の宿で丁重にもてなされる。牛頭天王は,やがて南海の竜王の娘頗梨采女(はりさいによ)を妻にもらい,8人の王子が誕生する。これら眷族(けんぞく)をひきいた牛頭天王は,ふたたび帰還するがその途中で巨旦を滅ぼし,蘇民将来に一国を与えたという。また一説に行疫神(こうえきしん)であり,祇園精舎の守護神でもある。日本に伝来した後,素戔嗚(すさのお)尊と習合し,また武塔天神(ぶとうてんじん)の名称もある。高天原から追放された素戔嗚尊が,海を渡り新羅についた後,牛頭方という土地に住みつき,牛頭天王と名のるようになったという縁起(えんぎ)もある。
各地に天王信仰は展開しているが,中心は,播磨(兵庫県)の広峰神社,京都の八坂神社,尾張(愛知県)の津島神社にあり,とくに京都の八坂神社が,御霊(ごりよう)信仰とともに発展した。これはまず,八坂に天神がまつられた後,その地に祇園精舎になぞらえた観慶寺(俗称,祇園寺)が建立され,守護神である牛頭天王も勧請された。八坂神社の行疫神的機能は,京都が大都市的性格を帯びるに及んで,さらに強まり,牛頭天王をまつる祇園祭が盛大となり,夏祭として定着した。夏祭の原形は,水際から悪霊を祓い流すところにあり,水神祭をかねている事例が多い。都市の河川は,しばしば大洪水になったり,悪疫を流行させる要因となったので,水神の霊を鎮める祭りが催されたのである。京都の祇園祭も,賀茂の河原で,神輿洗いをする行事が中心だった。各地の地方都市に,疫病退散の意味をもった天王信仰が伝播すると,いずれも旧暦6月15日前後を祭日とした祓の行事として定着したが,同時に京都の祇園祭の華やかな風流の形式もとり入れられ,現在の観光的な夏祭に引き継がれている。
→牛頭天王 →御霊信仰
執筆者:宮田 登
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報