コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

奈河亀輔(初代) ながわ かめすけ

2件 の用語解説(奈河亀輔(初代)の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奈河亀輔(初代) ながわ-かめすけ

?-? 江戸時代中期の歌舞伎作者。
奈河系の祖。京坂で活躍し,しばしば奈良と河内(かわち)を往来したので奈河を名のったという。初代並木正三に入門し,大坂浜芝居の作者となった。明和8年(1771)大歌舞伎に名をつらね,安永2年立作者(たてさくしゃ)となる。時代物を確立した。大和(奈良県)出身。前名は奈河亀助。別名に奈川亀助,奈河亀祐。号は永長堂,遊泥居。作品に「競(はでくらべ)伊勢物語」「伊賀越乗掛合羽(いがごえのりかけがっぱ)」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

奈河亀輔(初代)

生年:生没年不詳
江戸中期,上方の歌舞伎狂言作者。奈河系の祖。別号永長堂,遊泥居。奈良出身で,遊蕩の末に作者となり,奈良と河内を漂泊したことから奈河と称したという。明和8(1771)年に大坂中の芝居で初代並木正三の下に作者として名を連ね,2年後正三が没してからは立作者となり,以降おもに中の芝居で筆を執った。のち京都から江戸へ招かれたものか,天明8(1788)年江戸森田座の番付には「京下り」とある。寛政2(1790)年正月刊行の評判記によれば再び大坂中の芝居に属しているが番付にはみえず,以後の活動は不詳,あるいはこのころに没したか。有力な金主がついていたこともあって一座を采配する力を持ち,番付に「総支配人」として名が記されさえした。当時流布していた実録や講釈の方面に積極的に題材を求め,歌舞伎狂言の構成法である「四情四番続の法則」(喜怒哀楽の4つの情にもとづくという口明け・中入り世話場・大切の四段で狂言を構成する)を発展完成させることにより,各々の役者の見せ場を確保したうえで,緻密で複雑ながら筋の通った壮大な時代物作品を書き得て「中古歌舞伎作者の祖」とされた。代表作は「伊賀越乗掛合羽」「加々見山廓写本」など。狂言作者が自作の台帳を役者たちに読み聞かせる本読みにも長じ,それを「歌舞伎講釈」として披露した。大坂の料亭に四季の趣向による庭を作ってみせた,唐の珍品を収集して開帳を催した,などの逸話が残る。遺言により葬送は唐の道具で行われたという。奇人であった。名跡は3代まである。2代目を初代奈河篤助一時期名乗った。<参考文献>西沢一鳳『伝奇作書』(『新群書類従』1,3巻),上野典子「奈河亀輔時代物の構成」(『国語国文』1990年2月号)

(上野典子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

奈河亀輔(初代)の関連キーワード狂言作者富永平兵衛奈河亀輔上方歌舞伎江戸狂言書替狂言歌舞伎狂言上方狂言古今節離れ狂言

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone