名古屋地方の自由党員の蜂起(ほうき)計画。1884年(明治17)の群馬、加波山(かばさん)、秩父(ちちぶ)、飯田(いいだ)諸事件などの自由党員の蜂起と密接な関連をもつ。1883年に入るや、名古屋の自由党は内藤魯一(ろいち)、祖父江道雄(そふえみちお)、大島宇吉(うきち)、大島渚(なぎさ)らの活躍で党勢が伸び、そのなかの過激派大島渚、山内徳三郎(とくさぶろう)、久野幸太郎(くのこうたろう)、富田勘兵衛(とみたかんべえ)らは国事改良を目ざして公道協会の設立を計画し、その資金獲得のため83年12月に数回強盗を行った。公道協会は84年6月に設立され、これを契機に大島らは、国会開設を早期にかちとるためには挙兵して専制政府を打倒する以外にないとし、その資金獲得のため強盗を繰り返した。84年8月12日には強盗未遂の帰途、平田橋で警官と遭遇し、2名の警官を殺害した。名古屋事件が平田橋事件とよばれるのはそのためである。挙兵計画が発覚したのは、84年12月14日、富田ほか6名が知多郡長草村戸長役場を襲い吏員3名と警官1名を負傷させ、逃亡の途中に逮捕された皆川源兵衛(げんべえ)の自供からである。彼らは強盗殺人罪で起訴され、大島、富田、鈴木松五郎(まつごろう)の3名が死刑、皆川、種村鎌吉(たねむらかまきち)、佐藤金次郎(きんじろう)、青沼伝次郎(でんじろう)、奥宮健之(おくのみやけんし)、中条勘助(なかじょうかんすけ)、鈴木桂太郎(けいたろう)の7名が無期徒刑、山内ら16名が有期徒役(とえき)と重懲役などに処せられた。
[後藤 靖]
『手塚豊著『自由民権裁判の研究 中巻』(1982・慶応通信)』
自由民権運動の激化事件の一つ。1883年の12月より,愛知自由党の大島渚,富田勘兵衛,鈴木松五郎らは,政府転覆のための軍資金を得ようと県下の豪商・豪農宅に強盗に押し入った。まもなく愛知自由党の有力者久野幸太郎らも加わり,塚原九輪吉の紙幣偽造計画がこれに結びついていった。毎月3~4回ずつ各地で強盗を行い,84年6月には東京から来遊した自由党員奥宮健之もこれに参加。同志11人は8月,岐阜街道沿いの富豪から略奪しようとして果たさず,名古屋への帰途,平田橋で警察官と格闘して2人を殺害した。12月,久野・塚原ら4人は飯田事件への連累容疑により検挙。その直後,強盗参加者の一人が逮捕されたことをきっかけとして名古屋事件が発覚し,大島以下の関係者が続々と検挙された。逮捕を逃れた富田らはその後も強盗をつづけ,86年8月までの2年8ヵ月間で強盗・強盗未遂は51回におよんだ。富田は大阪事件にも関与して,のちに逮捕された。判決は87年2月に言い渡され,死刑3人(大島,富田,鈴木),無期徒刑7人,有期徒刑7人を含め,計26人が有罪となった。《自由党史》などの記述の不正確さによって,かつては平田橋事件が名古屋事件の別名となっていたが,近年ようやくその全貌が明らかになってきた。事件参加者の主体は,自由党員とともに,当局の抑圧・検挙に反抗する博徒や,松方デフレ下の窮乏に苦しむ貧農・都市細民であったといわれる。
執筆者:大日方 純夫
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1884年(明治17)名古屋の急進派自由党党員による政府転覆未遂事件。軍資金を徴収しつつ名古屋鎮台の兵を説いて立ち,監獄を破って囚人を義軍に参加させ,各地の自由党党員に蜂起を促す,という計画であったが,紙幣贋造,蜂起資金調達を名目とした役場・富豪からの金品略奪,巡査殺害などに止まった。12月愛知県知多郡長草村役場(現,大府市)で強盗事件をおこした関係者が検挙され,殺人罪などで死刑3人を含む重刑に処せられた。
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