日本歴史地名大系 「好島庄」の解説
好島庄
よしまのしよう
- 福島県:いわき市
- 好島庄
現在のいわき市中央部から北東の海岸部にまたがる庄園。本家は山城
これより先、文治二年(一一八六)七月一〇日石清水八幡宮を発った御正体が、八月一〇日に好島郷にもたらされ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現在のいわき市中央部から北東の海岸部にまたがる庄園。本家は山城
これより先、文治二年(一一八六)七月一〇日石清水八幡宮を発った御正体が、八月一〇日に好島郷にもたらされ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
陸奥(むつ)国岩城(いわき)郡に存在した石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)領荘園(しょうえん)。現在の福島県いわき市平(たいら)周辺にあたる。立荘事情は不明。総田数500町を超える大荘園。東西2荘からなり、東荘預所職(ひがしのしょうあずかりどころしき)は大須賀通信(おおすかみちのぶ)の子孫に長く継承され、西荘(にしのしょう)預所職は宝治(ほうじ)合戦(1247)後、前政所執事(まんどころしつじ)伊賀光宗(いがみつむね)に伝えられた。伊賀氏は預所職のみならず、八幡宮神主職、荘内4か村の村地頭職(じとうしき)をも兼帯した。また、常陸大掾(ひたちだいじょう)家の系譜を引く岩城氏一族が荘内各村の地頭として広く根づいていた。各所職(しょしき)の補任(ぶにん)権は鎌倉幕府にあり、荘園年貢も一部、石清水八幡宮に送られるほか幕府が収得した。つまり事実上の関東御領(ごりょう)。得宗被官(とくそうひかん)的性格をもつ伊賀氏と開発者的性格の岩城氏は荒廃公田(こうでん)および山野の帰属などをめぐり対立抗争を繰り返した。
[山崎 勇]
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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