日本歴史地名大系 「妙雲寺」の解説
妙雲寺
みよううんじ
天保一〇年(一八三九)成立の「見川誌」によると、もと甲州にあって武田家の臣跡部氏と深沢氏が檀越であった。天正一〇年(一五八二)武田家滅亡ののち二氏は徳川家康に臣従し、家康の五男万千代(信吉)が武田の名跡を継いだ際に信吉付となり常陸へ移住したが、妙雲寺もそれに伴い寺籍を移したという。寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)には「此寺開基ハ慶長
妙雲寺
みよううんじ
妙雲寺
みよううんじ
「小松邑誌」にみえる「鶴来山大義寺真言」がこれで、明治二八年(一八九五)から昭和三二年(一九五七)までは
大儀寺の前身に妙雲寺(廃寺)があったと伝えられ、「小松邑誌」に「仏法山妙雲寺 極楽院ト号ス 真言無本寺横峯寺持ナリ 寺ニ長福寺中興南溟和尚ノ和歌ヲ蔵ス(中略)白妙の雲のこなたの檜原山さかふるまゝにふし拝みけり」とあり、蔵王権現の別当であったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報