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妲妃のお百 だっきの おひゃく

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

妲妃のお百 だっきの-おひゃく

?-? 江戸時代中期の女性。
京都祇園(ぎおん)の遊女の出で,出羽(でわ)久保田藩(秋田県)用人の那河忠左衛門の内妻となる。久保田藩のお家騒動で那河が宝暦7年(1757)斬罪(ざんざい)になると,実録物毒婦として登場。のち中国殷(いん)代の悪女妲妃の名をとった講談「妲妃のお百」に脚色され,さらに歌舞伎化された。

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朝日日本歴史人物事典の解説

妲妃のお百

生年:生没年不詳
江戸中期の人物。のち毒婦として虚構化される。京都祇園の遊女から,鴻池善右衛門の妾,江戸の役者の妻など,旦那や夫を次々と替え,秋田藩士那河忠左衛門の内妻となる。宝暦7(1757)年忠左衛門がお家騒動で斬罪に処せられると,これが脚色され,お百の話は実録本『増補秋田蕗』を経て,伝説的な淫婦悪女で殷の紂王の妃,妲己になぞらえた講談「妲妃のお百」となり,廻船問屋桑名屋徳兵衛殺し,秋田騒動の奥医師殺しなどを行った毒婦に仕立てられた。さらにその話は慶応3(1867)年,歌舞伎「善悪両面児手柏」(河竹黙阿弥作)で劇化され,江戸末期から流行をみた代表的な毒婦物となった。

(橋本勝三郎)

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世界大百科事典 第2版の解説

だっきのおひゃく【妲妃のお百】

宝暦(1751‐64)ころの女性。のちに希代の毒婦として虚構化される。秋田藩佐竹家のお家騒動(5代義峰~7代義明時代の継嗣問題)にからんで那河忠左衛門(采女)は1757年(宝暦7)逆意ありとの科(とが)で斬罪となったが,その妻お百(おりつ)は京生れで転変の人生を送った。この転変ぶりは《秋田杉直(なおし)物語》(宝暦8年序,馬場文耕著)に,京の私娼―鴻池善右衛門の妾―江戸役者の妻―新吉原揚屋尾張屋の妻―那河の妻と描出されている。

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大辞林 第三版の解説

だっきのおひゃく【妲妃のお百】

講談・読み物などで希代の毒婦と喧伝された江戸中期の女性。中国の妲己にちなんでの称。河竹黙阿弥「善悪両面児手柏ぜんあくりようめんこのてがしわ」、二代目桃川如燕の講談などに登場する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

妲妃のお百
だっきのおひゃく

江戸後期、講談、実録物などで御家騒動の逆意方ヒロインとして毒婦と喧伝(けんでん)された女性。中国殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の妃で、残忍性と淫蕩(いんとう)性で知られた妲己(だっき)にちなんでこうよばれた。お百は京都・祇園(ぎおん)の遊女の出で、たびたび主人や旦那(だんな)をかえ、奉公先の廻船(かいせん)問屋や歌舞伎(かぶき)役者と密通。吉原から花魁(おいらん)に出ているうちに揚屋の主人の妻に納まる。一転して、秋田騒動の際、秋田藩の家老那河忠左衛門(実録物では中川采女(うねめ))の囲い者として毒婦ぶりを発揮したといわれる。歌舞伎脚本に河竹黙阿弥(もくあみ)作、1867年(慶応3)初演の『善悪両面児手柏(ぜんあくりょうめんこのでがしわ)』(通称「妲妃のお百」)があり、江戸末期から流行した毒婦物狂言の代表作の一つであった。[稲垣史生]

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