宝暦(1751-64)ころの女性。のちに希代の毒婦として虚構化される。秋田藩佐竹家のお家騒動(5代義峰~7代義明時代の継嗣問題)にからんで那河忠左衛門(采女)は1757年(宝暦7)逆意ありとの科(とが)で斬罪となったが,その妻お百(おりつ)は京生れで転変の人生を送った。この転変ぶりは《秋田杉直(なおし)物語》(宝暦8年序,馬場文耕著)に,京の私娼-鴻池善右衛門の妾-江戸役者の妻-新吉原揚屋尾張屋の妻-那河の妻と描出されている。さらに実録本《増補秋田蕗(ふき)》(成立年未詳)では,海坊主の怪がのりうつった毒婦としてお百を描き,中川(那河)の妻として太守毒殺の陰謀に荷担,もとの夫桑名屋徳兵衛を砂村六万坪で刺殺,また奥医師篠崎をも毒殺するなどと性格を拡大した。これにより,京・大坂・江戸を経巡った淫婦として,殷の紂(ちゆう)王の妃,妲妃の名前を冠して講談《妲妃のお百》となり,さらに歌舞伎化され《善悪両面児手柏(このてがしわ)》(河竹黙阿弥作)として1867年(慶応3)5月市村座で初演,4世市村家橘(のち5世尾上菊五郎)がお百に扮し好評を得,のちに4世沢村源之助の得意芸ともなった。歌舞伎のお百は幕末期特有の頽廃美にみちた〈悪婆(あくば)〉の系列に属する形象となっている。
執筆者:小池 章太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸後期、講談、実録物などで御家騒動の逆意方ヒロインとして毒婦と喧伝(けんでん)された女性。中国殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の妃で、残忍性と淫蕩(いんとう)性で知られた妲己(だっき)にちなんでこうよばれた。お百は京都・祇園(ぎおん)の遊女の出で、たびたび主人や旦那(だんな)をかえ、奉公先の廻船(かいせん)問屋や歌舞伎(かぶき)役者と密通。吉原から花魁(おいらん)に出ているうちに揚屋の主人の妻に納まる。一転して、秋田騒動の際、秋田藩の家老那河忠左衛門(実録物では中川采女(うねめ))の囲い者として毒婦ぶりを発揮したといわれる。歌舞伎脚本に河竹黙阿弥(もくあみ)作、1867年(慶応3)初演の『善悪両面児手柏(ぜんあくりょうめんこのでがしわ)』(通称「妲妃のお百」)があり、江戸末期から流行した毒婦物狂言の代表作の一つであった。
[稲垣史生]
(橋本勝三郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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