江戸時代に仏教各宗派で設立した僧侶の教育機関で,学寮,談林,檀林などとも呼ばれた。江戸幕府は各宗の法度(はつと)で宗学研鑽のための就学を義務づけたが,また各宗でも宗学を中心とする仏教研究が急速に発展し,住職となるために一定期間学林などで学ぶことを求めた。その主要なものを示すと,浄土宗鎮西派では,中世に各地の談所が設けられたが,江戸時代初頭に増上寺存応は徳川家康と謀り,芝増上寺,小石川伝通院などの江戸五檀林と,鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺などの田舎十三檀林の,いわゆる関東十八檀林を定めた。同宗西山派でも山城粟生光明寺,京都禅林寺などの七檀林を設け,同宗名越(なごえ)派でも下野大沢円通寺などの二檀林を開いた。日蓮宗一致派では16世紀末に,関東および関西の根本檀林と呼ばれた下総飯高檀林(飯高寺)と京都松ヶ崎檀林(本涌寺)が開かれたが,のち甲斐身延山の西谷檀林(善学院)などの関東の八檀林と鷹峰檀林(常照寺)などの京都六檀林ができた。同宗勝劣派でも上総宮谷(みやさく)檀林(本国寺)などの七檀林を設立した。天台宗では,武蔵,上野,常陸,上総などの関東十檀林で修学した者を江戸東叡山学校(寛永寺)へ入学させ,また延暦寺などにも学寮が付設された。真言宗では高野山金剛峯寺に,新義真言宗では大和長谷寺,京都智積(ちしやく)院をはじめ,地方に田舎檀林を設けて夏冬2期に論義講学させた。また禅宗の臨済宗では京都や鎌倉の五山,京都大徳寺,同妙心寺などに,同じく曹洞宗では越前永平寺,能登総持寺や江戸吉祥寺,同青松寺,同泉岳寺などに,同じく黄檗宗では山城万福寺などに,各学寮をおいた。浄土真宗では東本願寺に学寮が,西本願寺に学林が設置され,また専修寺,仏光寺などの諸派でも学寮をおいて,いずれも安居(あんご)制を定めて教育した。各学林などにはみな制度学則が定められた。例えば,東本願寺学寮では,講師,嗣講,擬講の3講者が所化(学生)を教育し,所化のうち代表者を上首,各寮の支配を寮司とし,全寮制で夏をはじめ春秋に講義したが,とくに就学年数の規定はみられない。これらの学林などは,東西本願寺の学寮,学林が大谷大学,竜谷大学へ,曹洞宗吉祥寺,青松寺の2学寮が駒沢大学へ,日蓮宗一致派諸檀林が立正大学へ,それぞれ発展したように,明治以後の各宗派教育機関の濫觴(らんしよう)をなした。学林などの宗学は,一面で定型化したが,また多くの著名な学僧が輩出し,各宗風が明らかにされた。
執筆者:柏原 祐泉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…和歌山県伊都郡高野町にある真言宗系の私立大学。真言宗は鎌倉時代から僧侶養成の学問所であった学林制度を改革して,1886年高野山に古義真言宗大学林を開講。当時,修学期間7年制で自宗他宗の宗義学を教授した。…
※「学林」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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