静岡県中央部,静岡市の旧市(平成の大合併以前)市街地を中心に広がる沖積平野。南は駿河湾に面し,東は有度(うど)丘陵,北は庵原(いはら)山地,西は安倍川・高草山地に囲まれる。有度丘陵の北側を東流する巴(ともえ)川沿いに広がる清水平野を合わせて,全体を静岡・清水平野と総称することもある。静岡平野は主体をなす安倍川扇状地と北部の麻機(あさはた)(浅畑)低地,南部の高松低地などからなり,支流の足久保川,藁科(わらしな)川,丸子川沿いには樹枝状の谷底平野がみられる。安倍川は砂礫(されき)の運搬,堆積作用が盛んで,砂礫層の厚さは扇状地中心部で100mにも達し,また河口部にも砂礫州を発達させている。安倍川扇状地は賤機(しずはた)山の南端にある浅間(せんげん)神社付近(標高約27m)を扇頂として形成され,扇面は南方のほか東方,北方へも広がり,自然堤防状の高まりが,たなごころのようにのびている。扇頂から扇央にかけて発達した旧市市街地には谷津山,八幡山,有東山などの埋め残された小丘が島状に突出する。市街地北方の麻機低地は堆積作用からとり残された盆地状の沼沢地で,標高は約7m,軟弱地盤が厚く,豪雨時には湛水をくり返した。巴川によって排水されているこの低湿地には,明治期までは浅畑沼があったが,その後の土地改良事業によって水田化され,最近は市街地化がすすんで盛土の造成地に住宅団地,流通センター,下水処理場などが建設された。また盛土による造成は遊水池としての機能を減少させたため,1974年の七夕豪雨の際には浸水被害が大きかった。市街地南方の高松低地は,沿岸の砂礫州と扇状地との間の閉塞された低湿地で,かつては潟湖状の地形であった。ここに位置する弥生後期の登呂遺跡(特史)は水田遺構で有名であるが,約2000年前に安倍川の洪水によって集落が放棄されたと考えられている。
江戸初期,駿府(すんぷ)の街づくりの際,安倍川のはんらんから守るため,甲州流の霞堤とよばれる方式で築堤された薩摩土手は今も川の東岸に残っている。築堤によって新田開発がすすめられたので,川沿いには新田集落も多い。安倍川河口から海岸沿いにのびる砂礫州は近年,海岸浸食の被害をうけて後退し,防潮堤の建設がすすんでいる。
執筆者:北川 光雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
静岡県中部、静岡市街地の立地する平野。安倍川(あべかわ)下流の沖積平野であるが、巴川(ともえがわ)に沿う沖積地が旧清水(しみず)市(2003年静岡市と合併)に延びてその市街地と連結するために静岡清水平野と一括にする場合もある。西方は安倍川右岸にあたる大崩(おおくずれ)から賤機(しずはた)山に続く山地、北方は庵原(いはら)山地、竜爪(りゅうそう)山地に限られ、南東方は有度(うど)山がある。賤機山南端のあたりを扇頂とする安倍川扇状地は支流の藁科川(わらしながわ)の堆積(たいせき)作用とともに平野を形成し、周辺は三角州低地に移行する。安倍川は東海型荒れ川のタイプをもち、多量の土砂を洪水のたびに急激に堆積させた。扇央部では約100メートルもの厚さに砂礫(されき)層があるが、麻機(あさはた)、長沼、丸子(まりこ)など周辺部は埋立ての遅れた低湿地となる。八幡(やはた)山、谷津(やつ)山などは平野の中に島状に突出しているし、自然堤防状の微高地が扇状地から放射状に延び、集落をのせてきた。用宗(もちむね)から有渡浜にかけて砂礫州(されきす)が延びて内側に内湾性の入り江を形成していたことも登呂遺跡(とろいせき)の発掘によって知られた。
[北川光雄]
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