私鋳銭(読み)シチュウセン

デジタル大辞泉 「私鋳銭」の意味・読み・例文・類語

しちゅう‐せん〔シチウ‐〕【私鋳銭】

民間で鋳造した銭貨。古代律令政府発行の皇朝十二銭以外は厳しく禁止された。中世には宋銭明銭をまねたものが多くつくられ、貨幣流通上混乱したので、幕府戦国大名によって撰銭令えりぜにれいが出された。→撰り銭

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精選版 日本国語大辞典 「私鋳銭」の意味・読み・例文・類語

しちゅう‐せんシチウ‥【私鋳銭】

  1. 〘 名詞 〙 官銭を模した民間鋳造の銭貨。中世では、輸入された中国銭に対し、国内で鋳造された銭。多くは、官製のものにくらべて粗悪だが、官銭の不足、あるいは鋳造停止などの理由で、中世から近世初頭にかけては正常のものと混入して通用された。しじゅせん。
    1. [初出の実例]「若私鋳銭事発。所獲作具」(出典:律(718)名例)

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改訂新版 世界大百科事典 「私鋳銭」の意味・わかりやすい解説

私鋳銭 (しちゅうせん)

日本古代では律令政府の鋳造した〈官銭〉に対して民間で鋳造された銭貨をいう。律令政府は銭の鋳造発行を独占し,地金より高い法定価値を付与して支払手段として財政的利益を得ていた。したがって私的な鋳造銭を使用することができればその利が大きいことが私鋳銭の誘引となった。760年(天平宝字4)の万年通宝発行の勅では,誇張もあるが私鋳銭が流通銭の半ばにまで達したと述べている。このような私鋳銭の頻発は,法定価値の下落とともに律令政府に新銭の発行をくり返させる原因となった。私鋳銭は,銭貨の鋳造発行の独占による利益取得という律令政府の銭貨政策の根本をゆるがすものであったため,厳罰が適用された。私鋳銭に対する罰則規定はすでに大宝律(701制定)に存在したらしいが,その内容は明らかでない。711年(和銅4)首謀者は斬,共犯者は没官,家口は流罪という重刑が規定されたが,これは753年(天平勝宝5)首謀者は遠流に,780年(宝亀11)共犯者・家口が徒3年・2年半に軽減されるまで現行法として機能した。
執筆者:

中世では悪銭の一種で,中国銭および日本国内で私的に鋳造された銭貨をさす。中世においては私鋳銭の鋳造自体はなんら処罰の対象とならなかったので,各地で粗悪な私鋳銭がつくられ,1銭=1文の精銭に対して,2分の1,5分の1,10分の1などの低価値の小額貨幣として流通した。その種類は多様で中国産,国内産とも正確なところは不明であるが,およそ次の三つぐらいに分類できると思われる。(1)南京銭(ナンキンせん)(京銭きんせん)) 中国の南京付近で鋳造されたものを模倣して,日本で鋳造したもっとも劣悪な銭貨である。新銭というのもこれと同じか,あるいは類似のものであろう。(2)日本新鋳料足,地銭 日本の国内で鋳造されたもので,永楽大観嘉定洪武(なわ切り),大唐などの表示をつけたものもある。鋳造場所を示すさかい(堺)銭,あるいは九州で流通した字大鳥,黒銭などもあり,なまり銭も国内産の私鋳銭であろう。(3)打ひらめ(打平) 国内産の私鋳銭と思われるが,薄く無文の私鋳銭で,悪銭の代表として史料にあらわれる。
悪銭
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「私鋳銭」の意味・わかりやすい解説

私鋳銭
しちゅうせん

民間で私的に鋳造された銭貨。奈良・平安時代に発行された皇朝十二銭には地金の銅よりも高い法定価値が付与されていたため、私鋳銭による利はきわめて大きかった。このため私鋳銭は盛行し、万年通宝(まんねんつうほう)発行(760)の勅では通用銭の半分に達したとさえ記されている。私鋳銭は、銭貨の鋳造発行を独占し、高い法定価値を付与した「官銭」を支払いに用いて利益を得る律令(りつりょう)政府の銭貨政策を揺り動かし、法定価値下落の一因ともなった。律令政府による新銭発行の繰り返しは、私鋳銭と法定価値下落に対処するための処置であった。したがって私鋳銭に対する刑罰は厳しく、大宝(たいほう)律の規定は不明だが、その刑では軽いとして711年(和銅4)首謀者は斬(ざん)、共犯者は没官(もっかん)、家口(かこう)(家族)は流罪の重刑に改められている。この厳罰は、753年(天平勝宝5)首謀者は遠流(おんる)に、780年(宝亀11)共犯者は徒(ず)3年、家口は徒2年半に軽減されるまで維持された。なお、中世では国家権力による銭貨鋳造は行われず、おもに中国渡来銭が流通したが、南北朝時代ごろからは、私鋳銭もかなり流通した。16世紀後半、大隅(おおすみ)国加治木(かじき)(鹿児島県姶良(あいら)市)で鋳造された宋銭(そうせん)、明銭(みんせん)の模造私銭は著名である。

[栄原永遠男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「私鋳銭」の意味・わかりやすい解説

私鋳銭
しちゅうせん

民間で私的に鋳造した銭貨。和同開珎が発行された翌年の和銅2(709)年,政府は私鋳を禁じ,犯人の刑を杖(じょう)200と規定し,同 4年には極刑の斬としたが,天平勝宝5(753)年にいたって一等を減じて遠流とした。10世紀半ば,銭貨の官鋳が終わって以後,絹が主要通貨の役割を果たしたが,平安末期には中国銭が大量に流入するようになり,物価や租税にかかわる問題が起こった。そのため治承3(1179)年,明法博士中原基広が,宋銭は私鋳銭と同じであるから通用を停止すべしと主張して,建久4(1193)年に宋銭使用が禁止されるなど,しばしば中国銭の排斥がはかられた。しかしその後,貨幣経済がますます発展して,16世紀末までに大量の中国銭が流通するとともに,私鋳銭も活発につくられて,撰銭が盛んとなった。江戸幕府は寛永13(1636)年に寛永通宝を発行して幣制を統一し,同 20年には私鋳者を死罪と定め,私鋳を厳禁した。

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百科事典マイペディア 「私鋳銭」の意味・わかりやすい解説

私鋳銭【しちゅうせん】

民間において公許を得ずに鋳造された銭貨。貨幣の不足と悪貨の流通の下で生ずる。日本での私鋳銭取締りは711年にみられ,皇朝(こうちょう)十二銭の流通を阻害するという理由で,平安中期まで数度にわたり取締令が公布された。中世では悪銭の一種をさした。→撰銭(えりぜに)/鐚銭(びたせん)
→関連項目明銭

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「私鋳銭」の解説

私鋳銭
しちゅうせん

民間で鋳造した銭。古代には,和同開珎(わどうかいちん)など官鋳の制銭を模した私鋳銭がしばしば不法に造られ,犯人に対する厳罰が定められた。中世に入って宋銭など中国の制銭を中心に貨幣流通が発達すると,国内での銭の私鋳はさらに盛んになり,また中国で造られた私鋳銭も流入した。この時代の私鋳銭には,宋銭・明銭模造の精巧なものから打平(うちひらめ)のようなただの金属板までさまざまな種類があり,それぞれが異なった通用価値をおびて流通し,撰銭(えりぜに)の原因となった。現存の私鋳銭のなかで生産地が明らかなものとして,大隅国加治木(かじき)で造られた加治木銭が有名だが,このほかにも銭貨の私鋳は各地で行われ,鎌倉などで遺跡から出土している。

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旺文社日本史事典 三訂版 「私鋳銭」の解説

私鋳銭
しちゅうせん

民間で私的に鋳造された貨幣
私鋳銭は律で厳禁され,鋳銭者は処刑された。鎌倉・室町時代には官鋳銭がなく宋銭・明銭が通用し,その私鋳銭が多く出た。品質が悪く鐚銭 (びたせん) と呼ばれ,通用に際し,撰銭 (えりぜに) が行われた。江戸幕府も私鋳銭を厳禁した。

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世界大百科事典(旧版)内の私鋳銭の言及

【貨幣】より

…洪武通宝・永楽通宝・宣徳通宝などは代表的な明銭であった(宋元銭)。室町時代には中国の官鋳制銭のほかに,日本製の模造銭や私鋳銭が造られ,中国製の精銭と並んで日本製の鐚銭(びたせん)が使用された。そのため撰銭(えりぜに)の現象がみられるようになり,標準的な中国銭に対して日本製の銭貨は資質の悪い減価された悪銭として区別された。…

※「私鋳銭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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