デジタル大辞泉
「定席」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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じょう‐せきヂャウ‥【定席】
- 〘 名詞 〙
- ① 定まっている座席。
- [初出の実例]「掛幕の立派に備へてある定席(ヂャウセキ)に着くまで」(出典:小公子(1890‐92)〈若松賤子訳〉七)
- ② 行きつけの座敷。なじみの家。
- ③ 常設の寄席(よせ)。
- [初出の実例]「女流の名手が出て小川亭を定席(ヂャウセキ)とする」(出典:閑耳目(1908)〈渋川玄耳〉説教は落語)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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定席 (じょうせき)
常設の寄席(よせ)の意。貸席(かしせき)や現代のいわゆる〈ホール落語〉の貸ホールなどとは区別される。江戸,上方とも,1804年(文化1)ごろから創設された。現在は,上席(かみせき),中席(なかせき),下席(しもせき)と1ヵ月を三分しての10日間興行だが,大正初期までは,15日間ずつの興行だった。明治・大正時代の東京には240軒もあったが,昭和初期には114軒に落ちこみ,1990年現在では,東京で上野・鈴本演芸場,新宿・末広亭,池袋演芸場,浅草演芸ホールなど,上方で,なんばグランド花月など数軒にすぎなくなってしまった。しかし,芸人の修練のためには欠かせぬ場である。
執筆者:興津 要
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の定席の言及
【寄席】より
… 寄席興行が最も盛んになったのは,文化・文政のころで,1815年(文化12)に江戸市中に寄席は75軒,文政年間(1818‐30)には125軒を数えた。1834年(天保5)に出た寺門静軒の《江戸繁昌記》によれば,天保のころには,すでに7日替りの常打ち(定席(じようせき))に近い寄席の形態が整えられていたことがわかる。寄席には昼席(ひるせき)と夜席(よるせき)があり,出演者名と日を記した行灯をかけ,下足番が呼びこみをしていた。…
※「定席」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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