室谷村(読み)むろだにむら

日本歴史地名大系 「室谷村」の解説

室谷村
むろだにむら

[現在地名]三隅町室谷

折居おりい川右岸に位置し、北部に大麻たいま(五九九メートル)がある。西は平原ひらばら村、南は井野いの諸谷もろだに。元和五年(一六一九)の古田領郷帳では高一三一石余、年貢高は田方六九石余・畑方一〇石余。宝暦九年(一七五九)の三隅組村々改帳(鈴木家文書)では高一四四石余、うち三七石余は元文三年(一七三八)に減高永否引となった。反別は田方一四町七反余・畑方四町七反余。ほかに大麻山尊勝そんしよう寺領三四石余・反別六町九反余がある。茶・楮をつくり、砂鉄採取の鉄穴役銀一四匁余が課せられ、浜田藩の御立山おにじようがあった。水田は鉄穴流しで生じた石と泥でしだいに増加していったといい、高地に石垣を築いた水田が多い。


室谷村
むろやむら

[現在地名]上川村神谷かみたに 室谷

室谷川左岸に位置し、北東鑰取かぎとり新田村。「新編会津風土記」によれば、応永八年(一四〇一)京都から清野靭負某が来て当村を開いたといい、家数は室谷川を挟んで西に一六、東に五とある。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「守屋 百十二石七斗六升」とあり、当村に比定される。元和六年(一六二〇)の漆木役は一七五本五分(津川旧記)、山役は寛永一五年(一六三八)に五匁(同書)、天保一三年(一八四二)年貢皆済目録(清野多一氏蔵)では六匁二分五厘。小物成はほかに糠藁役・綿役銀・足前銭・鮎役銀を納めている。


室谷村
むろだにむら

[現在地名]今立町室谷

水間みずま谷の谷口にあり、南東長谷ながたに村、北は服部はつとり谷の藤木ふじのき村と接する。正保郷帳では長谷村に属しているが、元禄郷帳で分村、高一一九・八二五石。天保一四年(一八四三)の室谷村高反別小前帳(三井家文書)によると田二町七反余に対し畑が五町一反余と大きく上回っている。嘉永七年(一八五四)の宗門人別御改帳(「越前宗門帳」所収)では本百姓二六戸・水呑六戸で、人口は男六九人・女七九人。万延二年(一八六一)の村入用割賦帳(三井家文書)によると村方経費の年間総額は銭四二貫九一五文で、主な支出は江戸・大坂への廻米入用も含めた郡中割が一二貫、庄屋給等の人件費一〇貫、用水普請七貫などである。


室谷村
しつたんむら

[現在地名]京北町大字室谷

弓削ゆげ一一ヵ村の一。大堰おおい川の支流田原たわら川上流にある山間集落四方を山に囲まれ、川を下ると佐々江ささえ(現船井郡日吉町)に至る。

慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)より丹波園部藩領となる。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳によると高三三石余。


室谷村
むろだにむら

[現在地名]柏原町室谷

東はなか村と境を接し、南の室谷坂を越えると玉巻たまき(現山南町)に通じる。領主変遷小南こみなみ村に同じ。正保郷帳に村名がみえ田高七五石余・畠高一一石余、柴山あり、日損所少し。柏原藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android