富永平兵衛(読み)とみながへいべえ

改訂新版 世界大百科事典 「富永平兵衛」の意味・わかりやすい解説

富永平兵衛 (とみながへいべえ)

歌舞伎作者生没年不詳。別号西林軒。俳名辰寿。役者として出発したが,延宝(1673-81)ごろ作者に転じた。80年,番付に〈狂言作り〉と記し非難を受けた。しかし,のちに作者名を明記する習慣ができた。以降京,大坂で活躍したが,97年(元禄10)ごろ没した。代表作には《丹波与作手綱帯》,《武道達者》(1693),《日本月蓋長者》(1694)などがある。お家騒動物が大部分で,奇抜な展開やカラクリの利用などに特色を見出す。《役者論語》に収録された《芸鑑》を書き残し,初期歌舞伎のありさまを伝えた業績もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「富永平兵衛」の意味・わかりやすい解説

富永平兵衛
とみながへいべえ

生没年不詳。歌舞伎(かぶき)作者。俳優出身で1673年(延宝1)ごろから作者となり、97年(元禄10)ごろまで京坂で活躍した。それまで内輪の存在でしかなかった歌舞伎作者のなかで、80年に初めて番付上に「狂言作り」を称し、近松門左衛門ら名作者の登場する機運をつくりだした。元禄(げんろく)歌舞伎の三大作の一つ『嫁鏡(よめかがみ)』の作者とも伝えられる。寛文(かんぶん)期(1661~73)ごろの歌舞伎の粗筋を書いた書として唯一貴重な『芸鑑(げいかがみ)』を残す。

[古井戸秀夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富永平兵衛」の意味・わかりやすい解説

富永平兵衛
とみながへいべえ

江戸時代,延宝~元禄 (1673~1704) 頃の歌舞伎作者。初め金子六右衛門門下の俳優で,延宝頃作者に転じた。延宝8 (1680) 年 11月の顔見世番付に初めて「狂言作り」と自分の名前を記し,作者の職掌と独立を主張した。当時は世の非難を招いたが,やがて番付,狂言本,浄瑠璃本もこれにならうようになった。作品には仇討ちをからませた御家物が多い。代表作『鹿島の要石』 (91) ,『娘孝行記』 (91) ,『丹波与作手綱帯』 (93) など。

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朝日日本歴史人物事典 「富永平兵衛」の解説

富永平兵衛

生年:生没年不詳
元禄期に上方で活躍した歌舞伎狂言作者。俳名辰寿。延宝8(1680)年11月の顔見世番付に初めて「狂言作り」として名を記したが,前例がなかったため非難を受けた。しかし,のちには作者名を明記する習慣ができた。近松門左衛門以前の劇壇で名声を博し,また野郎歌舞伎時代の狂言の筋書きを書きとめた「芸鑑」を著した。<参考文献>『役者論語』(日本古典文学大系『歌舞伎十八番集』)

(今西晶子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富永平兵衛」の解説

富永平兵衛 とみなが-へいべえ

?-1699ごろ 江戸時代前期の歌舞伎作者。
延宝8年(1680)番付に「狂言作り」と肩書をつけて自分の名をだし,以後歌舞伎の作者名を明記する習慣が生まれた。京都,大坂で活躍し,元禄(げんろく)歌舞伎三大作のひとつ「嫁かゞみ」の作者ともつたえられる。元禄12年ごろ死去。俳名は辰寿。号は酉林軒。著作に「芸鑑(げいかがみ)」など。

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世界大百科事典(旧版)内の富永平兵衛の言及

【歌舞伎】より

敵役(かたきやく)や道外方(どうけがた)の芸が確立し,重んじられたのも注目すべきことである。また富永平兵衛(生没年不詳。延宝~元禄ごろの歌舞伎作者)や近松門左衛門によって,狂言作者が独立の職掌になったこと,役者評判記の記事が容色中心から技芸評へと転換したことなどが,この時期に演劇としての飛躍的な発達を遂げたことを物語っている。…

※「富永平兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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