江戸時代の民家で,家長の夫婦や幼児の就寝に使われた部屋の呼称。〈なんど〉〈おく〉〈へや〉などとも呼ばれ,特殊な呼称に〈ちょうだ〉〈ねどこ〉〈ねじき〉などがある。部屋の形状は,江戸時代前半までは三方を壁で閉ざし,入口の敷居を20cmほど高くし,半分を壁にして板戸を1枚引き込み,外から施錠できるようになっているものもある。当時の〈ねま〉がこのような形状になった理由ははっきりしない。飛驒の白川郷や八丈島に〈ちょうだ〉の語が残っているのをみると,平安時代の伝統を受け継いでいるようにみえるが,平安時代の帳台(ちようだい)は周囲に帳を垂れた部屋であり,民家の寝間は《春日権現験記》に描かれた納戸の形式に類似している。納戸は本来は貴重品を収めておく所であるが,納戸が寝室として使われた事例が室町時代後期から散見するようになるので,おそらく戦国時代の不穏な世相が納戸を寝間にする習慣を作りだしたものと考えられ,寝間という機能の一致から〈ちょうだ〉という言葉が当てられたと考えられる。
一方,〈ねどこ〉〈ねじき〉などの呼び方は,近世庶民の就寝形態にかかわるところが多いと考えられる。平安時代後期から室町時代にかけて,日本の上層階級の寝具は,板または畳の上に茵(しとね)を敷き,着衣の上に衾(ふすま)を掛ける形式であった。しかし,一般の農民は着衣のままか,裸で藁の中にもぐって寝るのが普通であった。このような就寝方法は,四周が閉ざされた部屋を必要とする。この二つの理由,安全性の確保と寝具からの要求が,近世初期の民家に寝間の確立を導いたものと考えられる。江戸時代になると,寝具として蒲団(ふとん)が上層階級を中心に普及し,18世紀中ごろには庶民階級にも普及するようになる。このような寝具の発達は閉鎖的で狭い寝間とはあいいれないものであり,しだいに特定の部屋を寝間にする居住習俗も薄れていったものと考えられる。
なお日本の家屋では,主屋に専用寝間は一つだけの場合が多く,ここには家長夫婦と幼児のみが寝起きし,青年男女は別棟あるいは土間の中二階などの簡単なつくりの〈部屋〉を寝間とし,老年夫婦は隠居に住まうという慣行があり,家の後継者が結婚すると寝間を入れ替える風習がある。そのことが,寝室の形態は変化しながら,〈ねま〉等の名称を長く伝承させていた側面もある。
執筆者:鈴木 充
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ネドコ、ネベヤ、ネショ、ナンド、チョウダイ、チョウダなどの呼称があり、いうまでもなく寝室である。単にヘヤともいうが、開放的な日本の住宅のなかで、珍しく個室としての配慮がなされている部分である。しかしそれは家長夫婦の使用に限られていた。平安時代の寝殿造の納戸構えないしは帳台構えに由来するものといわれている。その古い形式のものは、三方を板または土の壁として窓がなく、出入口の敷居をすこし高くし、板張り床に藁(わら)を敷いていた時代の呼称とも思えるハジカクシの名称も伝承されている。板張り床になる前は土座(どざ)で、地面を掘って、籾殻(もみがら)や藁、かやなどを敷き詰め莚(むしろ)を敷いていた。
[竹内芳太郎]
…日本在来の名称ではなく,西欧の生活様式が導入されて以後普及した。竪穴住居にベッド状の高い部分を設けた例が少数ながら報告されているが,現在まで発掘された縄文・弥生・古墳の各時代住居址には,寝間(寝室)をはっきり分けてつくったと認められる例はない。アイヌの住居では炉端の席が決まっており,各人の後ろの空間が寝場所になっていたので,おそらくそのような使われ方をしたのであろう。…
※「寝間」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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