小中村清矩(読み)コナカムラキヨノリ

デジタル大辞泉 「小中村清矩」の意味・読み・例文・類語

こなかむら‐きよのり【小中村清矩】

[1822~1895]幕末から明治初期の国学者江戸の人。号、陽春廬やすむろ和歌山藩の古学館教授。「古事類苑」の編纂へんさん参加。著「官職制度沿革史」「歌舞音楽略史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「小中村清矩」の意味・読み・例文・類語

こなかむら‐きよのり【小中村清矩】

  1. 幕末・明治初期の国学者。文学博士。本姓原田。号陽春廬(やすまろ)。江戸の生まれ。本居内遠に学び、和歌山藩で教授。維新後、政府に仕え、東京帝大教授・貴族院議員・東京学士院会員となる。古代法制史・国語国史に通じ、「古事類苑」の編集を主宰。著に「陽春廬雑考」「国史学の栞(しおり)」「歌舞音楽略史」など。文政四~明治二八年(一八二一‐九五

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改訂新版 世界大百科事典 「小中村清矩」の意味・わかりやすい解説

小中村清矩 (こなかむらきよのり)
生没年:1821-95(文政4-明治28)

幕末・明治前期の国学者。通称将曹,号は陽春盧など,清矩は諱(いみな)。父は三河の人で原田姓だが,清矩は従母小中村氏に養われてその家を継ぐ。家業商売を嫌って学問にはげみ,1855年(安政2)本居内遠に入門,その推挙紀州藩に国学をもって仕え,62年(文久2)から幕府和学講談所に出講した。明治維新後は大学中助教,内務省社寺局御用掛,東京大学教授などを歴任し,《古事類苑》の編集にも関与した。93年貴族院議員。
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朝日日本歴史人物事典 「小中村清矩」の解説

小中村清矩

没年:明治28.10.11(1895)
生年:文政4.12.30(1822.1.22)
幕末明治の国学者。通称は金四郎,金右衛門など。号は陽春廬。原田次郎八と美代の子。江戸に生まれる。幼少にして父母に死別,母の妹小中村氏に養われてその家を継いだ。養家は商家であったが,早く家を次子に譲り,国史,律令の研究に没頭。村田春野,伊能潁則に律令を学び,安政2(1855)年本居内遠に入門。和学講談所講師などを歴任,維新後は太政官に出仕した。明治12(1879)年以後『古事類苑』の編纂に従事し(のち編纂委員長),15年東京大学教授となり,古典講習科の設置に尽力。その著『歌舞音楽略史』はこの方面の先駆的な業績。ほかに『陽春廬雑考』『官制沿革史』『令義解講義』などの著述がある。<参考文献>中村秋香「小中村清矩先生小伝」(小中村清矩『国学史の栞』)

(白石良夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小中村清矩」の解説

小中村清矩 こなかむら-きよのり

1822*-1895 江戸後期-明治時代の国学者。
文政4年12月30日生まれ。江戸の商家の出身で,亀田鶯谷(おうこく),伊能穎則(ひでのり),本居内遠(もとおり-うちとお)らにまなぶ。文久元年紀伊和歌山藩の古学館頭取。維新後は太政(だじょう)官制度取調掛,内務省社寺局御用掛などを歴任。明治19年「古事類苑」編纂委員長,帝国大学教授となった。学士院会員。貴族院議員。明治28年10月11日死去。75歳。本姓は原田。通称は金四郎,金右衛門,将曹。号は陽春廬。著作に「令義解講義」「田制考」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小中村清矩」の意味・わかりやすい解説

小中村清矩
こなかむらきよのり

[生]文政4 (1821).12.30. 江戸
[没]1895.10.11.
幕末・明治期の国学者。国史編纂,神祇制度の調査などに従事。1882年東京大学教授。1888年文学博士。1890年貴族院議員。著書に『歌舞音楽略史』(1888)などがある。(→国学

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世界大百科事典(旧版)内の小中村清矩の言及

【歌舞音楽略史】より

…日本音楽の歴史書。小中村清矩述。1888年刊。…

【古事類苑】より

…一つ一つの事項には編者の説明はないが,各部の初めに総説,各編の初めには解題が,編者によって付けられている。1879年,文部大書記官西村茂樹の建議により,文部省内に国学者の小中村清矩,榊原芳野と漢学者の那珂通世3名からなる古事類苑編纂掛を置き編纂開始。次いで完成を急がせるため,編纂年限を計9年半と定め,小杉榲邨,佐藤誠実,松岡明義ら8名の国学者,漢学者を参加させ,小中村に協力させた。…

【法制史】より

…その後帝国大学制度と講座制が整備されるに及んで,帝国大学法科大学(東京大学法学部の改称)に〈法制史〉(のちに〈日本法制史〉と改称)と〈羅馬法〉の両講座が設けられ,さらに〈比較法制史〉(のちに〈西洋法制史〉と改称)や〈東洋法制史〉がこれらにつけ加わった。〈日本古代法律〉を担当していた小中村清矩は国学者で,江戸時代の古代法研究の流れをくむ学風であった。しかし法学一般がヨーロッパ,とくにドイツの法学を模範にするという当時の風潮はやがて法制史に及び,ローマ法はもとより,日本法制史の研究者もドイツへ留学し,そこで身につけたドイツ法制史の方法をとり入れるに至った。…

※「小中村清矩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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