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小中村清矩 こなかむら きよのり

美術人名辞典の解説

小中村清矩

文学者。姓は紀。陽春盧と号す。幼名栄之助、後金四郎、又金右衛門と呼び後更に将曹と称す。学を好み和漢の書籍を読みて制度法律に潜め国史を研究す。明治2年大学中助教となり神祇権大史にる。神祇省大録より教部大録に遷り内務省社寺局御用掛に転ず。23年貴族院議員に勅選せられ従五位勲六等に叙し瑞宝章を賜う。明治28年(1895)歿、74才。

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デジタル大辞泉の解説

こなかむら‐きよのり【小中村清矩】

[1822~1895]幕末から明治初期の国学者。江戸の人。号、陽春廬(やすむろ)。和歌山藩の古学館教授。「古事類苑」の編纂(へんさん)に参加。著「官職制度沿革史」「歌舞音楽略史」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小中村清矩 こなかむら-きよのり

1822*-1895 江戸後期-明治時代の国学者。
文政4年12月30日生まれ。江戸の商家の出身で,亀田鶯谷(おうこく),伊能穎則(ひでのり),本居内遠(もとおり-うちとお)らにまなぶ。文久元年紀伊和歌山藩の古学館頭取。維新後は太政(だじょう)官制度取調掛,内務省社寺局御用掛などを歴任。明治19年「古事類苑」編纂委員長,帝国大学教授となった。学士院会員。貴族院議員。明治28年10月11日死去。75歳。本姓原田。通称は金四郎,金右衛門,将曹。号は陽春廬。著作に「令義解講義」「田制考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小中村清矩

没年:明治28.10.11(1895)
生年:文政4.12.30(1822.1.22)
幕末明治の国学者。通称は金四郎,金右衛門など。号は陽春廬。原田次郎八と美代の子。江戸に生まれる。幼少にして父母に死別,母の妹小中村氏に養われてその家を継いだ。養家は商家であったが,早く家を次子に譲り,国史,律令の研究に没頭。村田春野,伊能潁則に律令を学び,安政2(1855)年本居内遠に入門。和学講談所講師などを歴任,維新後は太政官に出仕した。明治12(1879)年以後『古事類苑』の編纂に従事し(のち編纂委員長),15年東京大学教授となり,古典講習科の設置に尽力。その著『歌舞音楽略史』はこの方面の先駆的な業績。ほかに『陽春廬雑考』『官制沿革史』『令義解講義』などの著述がある。<参考文献>中村秋香「小中村清矩先生小伝」(小中村清矩『国学史の栞』)

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

こなかむらきよのり【小中村清矩】

1821‐95(文政4‐明治28)
幕末・明治前期の国学者。通称は将曹,号は陽春盧など,清矩は諱(いみな)。父は三河の人で原田姓だが,清矩は従母小中村氏に養われてその家を継ぐ。家業の商売を嫌って学問にはげみ,1855年(安政2)本居内遠に入門,その推挙で紀州藩に国学をもって仕え,62年(文久2)から幕府の和学講談所に出講した。明治維新後は大学中助教,内務省社寺局御用掛,東京大学教授などを歴任し,《古事類苑》の編集にも関与した。93年貴族院議員。

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大辞林 第三版の解説

こなかむらきよのり【小中村清矩】

1821~1895) 幕末・明治初期の国学者。本姓、原田氏。号は陽春廬やすむろ。江戸の人。東大教授。本居内遠に師事。「古事類苑」の編纂に尽力。著「官職制度沿革史」「歌舞音楽略史」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小中村清矩
こなかむらきよのり

[生]文政4 (1821).12.30. 江戸
[没]1895.10.11.
幕末・明治期の国学者。国史編纂,神祇制度の調査などに従事。1882年東京大学教授。1888年文学博士。1890年貴族院議員。著書に『歌舞音楽略史』(1888)などがある。(→国学

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世界大百科事典内の小中村清矩の言及

【歌舞音楽略史】より

…日本音楽の歴史書。小中村清矩述。1888年刊。…

【古事類苑】より

…一つ一つの事項には編者の説明はないが,各部の初めに総説,各編の初めには解題が,編者によって付けられている。1879年,文部大書記官西村茂樹の建議により,文部省内に国学者の小中村清矩,榊原芳野と漢学者の那珂通世3名からなる古事類苑編纂掛を置き編纂開始。次いで完成を急がせるため,編纂年限を計9年半と定め,小杉榲邨,佐藤誠実,松岡明義ら8名の国学者,漢学者を参加させ,小中村に協力させた。…

【法制史】より

…その後帝国大学制度と講座制が整備されるに及んで,帝国大学法科大学(東京大学法学部の改称)に〈法制史〉(のちに〈日本法制史〉と改称)と〈羅馬法〉の両講座が設けられ,さらに〈比較法制史〉(のちに〈西洋法制史〉と改称)や〈東洋法制史〉がこれらにつけ加わった。〈日本古代法律〉を担当していた小中村清矩は国学者で,江戸時代の古代法研究の流れをくむ学風であった。しかし法学一般がヨーロッパ,とくにドイツの法学を模範にするという当時の風潮はやがて法制史に及び,ローマ法はもとより,日本法制史の研究者もドイツへ留学し,そこで身につけたドイツ法制史の方法をとり入れるに至った。…

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