小姓町(読み)こしようまち

日本歴史地名大系 「小姓町」の解説

小姓町
こしようまち

[現在地名]山形市小姓町・十日町とおかまち二―三丁目・本町ほんちよう二丁目・諏訪町すわまち一―二丁目・七日町なぬかまち五丁目

明治五年(一八七二)七日町・蝋燭あかし町・ぎん町・塗師ぬりし町・おけ町・檜物ひもの町・諏訪町の一部から成立した町で、七日町の南、ほか五町の東の地域にあたる。最上義光の時代には町立てされていたらしく、最上氏時代城下絵図ではほぼ前述の位置に「今小姓町」と記され、「此町氏家家中町南末迄三百九拾間 屋敷両方六拾七軒」とある。


小姓町
こしようまち

[現在地名]姫路市小姓町

姫路城の南西にある船場本徳せんばほんとく寺の北に位置する武家地。町名は小姓の居住地であったことによる(大正八年刊「姫路市史」)。二月一六日付の木下家定書状(芥田文書)に「城より西南小性町、これも相改年貢米納可申」とあり、天正―文禄(一五七三―九六)頃には成立していた。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図では、本徳寺の北から現在の小姓町・もと町辺りを足軽町と記している。


小姓町
こしようまち

[現在地名]小倉北区堺町さかいまち一―二丁目・紺屋町こうやまち

円応寺えんのうじ筋の南で、西に旦過たんが橋がある。小性町・東小性町などとも記す(小倉領寺院聚録)。細川氏の代に東曲輪・西曲輪に小姓が並置されたという(倉府俗話伝)。寛文一二年(一六七二)一二月当町より出火、紺屋町古船場ふるせんば町などに延焼(「欣浄寺略誌」小倉藩史年表)


小姓町
こしようまち

[現在地名]関宿町関宿町 小姓町

久保くぼ町の南に位置する武家町。土塁を挟んで南東ひろ町。年未詳の関宿城図(横田家文書)に町名がみえる。正保城絵図(内閣文庫)では侍屋敷地のほか、南東部には足軽屋敷や沼地が記されているが、久世氏(第二次)の時代には武家町の中心で、家老の伊藤半右衛門などの屋敷地があり、学者・治水家として知られる船橋随庵も当町に住していた(関宿志)


小姓町
こしようまち

[現在地名]米沢市門東町もんとうまち一丁目

門東町の南東に位置し、同町に接続するコの字形の道に沿う上級家臣屋敷町。東・南は三の丸堀に接する。藩主小姓衆が配置されたことからの町名。慶長一四年(一六〇九)城下改編時、直江兼続は小姓衆親子は一所に居住させること、城から遠いと出仕辛労であることなどを考慮するよう工事責任者平林正恒に命じており(歴代古案)本丸へ利便の地に配置された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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