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小式部内侍 こしきぶのないし

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小式部内侍
こしきぶのないし

[生]?
[没]万寿2(1025).11.
平安時代中期の女流歌人。父は陸奥守道貞,母は和泉式部上東門院彰子に仕えた。藤原公成の子を生んでのち,まもなく母に先立って病死。『後拾遺集』以下の勅撰集に入集。「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」の歌は『小倉百人一首』にとられ,藤原定頼の問いにこの歌をもって答えた話は『俊頼髄脳』 (1115) をはじめ諸書にみえる。

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デジタル大辞泉の解説

こしきぶ‐の‐ないし【小式部内侍】

[?~1025]平安中期の女流歌人。父は橘道貞、母は和泉式部。母とともに上東門院彰子に仕えた。26、7歳で死去。歌は後拾遺集金葉集などに載る。

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百科事典マイペディアの解説

小式部内侍【こしきぶのないし】

平安中期の歌人。〈小式部〉とも呼ばれた。橘道貞を父に,和泉式部を母に持つ。1009年頃,母とともに一条天皇中宮彰子に出仕したらしい。歌合の歌人に選ばれた際,丹後にいる母の知恵を借りることができたかとからかわれ,〈大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立〉と切り返した逸話は有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小式部内侍 こしきぶの-ないし

?-1025 平安時代中期の歌人。
橘道貞(たちばなの-みちさだ)・和泉(いずみ)式部の娘。母とともに中宮彰子(上東門院)につかえる。宮中の歌会で藤原定頼に「丹後(京都府)にすむ母に代作をたのむ使いをやったか」と皮肉られたとき,即座に「大江山」の歌をよんで,やりこめた。藤原教通(のりみち)の子,ついで藤原公成(きんなり)の子を生んだ。「後拾遺和歌集」などに歌がある。万寿2年11月死去。
【格言など】大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天(あま)の橋立(「小倉百人一首」)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

小式部内侍

没年:万寿2.11(1025)
生年:生年不詳
平安中期の歌人。和泉式部と橘道貞の子。寛弘6(1009)年ごろ母と共に藤原彰子に出仕。百人一首にとられた「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」は,母が再婚した夫と丹後に住んでいるとき,歌合 に選ばれると,藤原定頼が小式部の歌は母の代作という噂だとからかったので,即座に詠んでみせたものだという。これが最も早い時期の作か。確実なその詠歌は数首しかないが,藤原教通に愛され「死ぬばかり嘆きにこそは嘆きしかいきてとふべき身にしあらねば」という名歌を残している。その他いく人もの貴公子と交渉を持ったが,28歳前後の若さで藤原公成の子を生んで死去。母を深く嘆かせた。

(安隨直子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

こしきぶのないし【小式部内侍】

?~1025) 平安中期の女流歌人。父は橘道貞、母は和泉式部。上東門院彰子に仕えた。歌合の詠者に選ばれた際、丹後の母のもとへはもう代作を頼んだかとからかわれ、「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」と答えて退けた話は有名。二六、七歳で夭折。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小式部内侍
こしきぶのないし
(?―1025)

平安中期の女流歌人。陸奥守(むつのかみ)橘道貞(たちばなのみちさだ)の女(むすめ)。母は和泉(いずみ)式部。1009年(寛弘6)ころ母とともに上東門院彰子(じょうとうもんいんしょうし)に出仕、関白藤原教通(のりみち)やその異母兄頼宗(よりむね)などに愛され、18年(寛仁2)には教通の子(後の木幡(こわたの)僧正静円(じょうえん))を生んだ。ついで25年(万寿2)には滋の井(しげのい)の頭中将(とうのちゅうじょう)藤原公成(きんなり)の子を生み、そのために没した。享年は27、28歳か。ほかに、公成と結ばれる少し前、和歌六人党の一人、藤原範永(のりなが)との間にも女子をもうけたとも伝えられる。華やかな男性遍歴を伝える逸話のわりには、小式部の歌作は少なく、『後拾遺(ごしゅうい)集』以下の勅撰(ちょくせん)和歌集に、わずかに数首が残されているにすぎない。[平田喜信]
 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立
『森本元子「小式部内侍」(『国文学』所収・1959.3・学燈社)』

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