安土(あづち)桃山・江戸前期の儒学者、医家。美濃(みの)、土岐(とき)氏で尾張(おわり)春日井(かすがい)郡に生まれる。名は道喜、号が甫庵。又四郎、長太夫とも。漢学者藤原惺窩(ふじわらせいか)の門人。豊臣秀吉(とよとみひでよし)の甥(おい)、関白秀次(ひでつぐ)に仕えたが、その追放により蟄居(ちっきょ)。のち、出雲(いずも)松江の藩主堀尾吉晴(ほりおよしはる)、加賀金沢藩主前田利常(1594―1658)の各侍医を勤めた。漢学、医学、軍学に通達し、『補註蒙求(ほちゅうもうぎゅう)』『十四経発揮(はっき)』『新編医学正伝』『東垣(とうえん)先生十書』の各古活字本、太田牛一(おおたぎゅういち)の『信長記(しんちょうき)』の補作を刊行したが、大村由己(おおむらゆうこ)、太田牛一らに倣って太閤(たいこう)伝記の集成『太閤記』22巻を刊行したことで知られる。
[山下宏明 2016年4月18日]
江戸前期の儒学者,医者,仮名草子作者。名は道喜。土岐氏の支族。出身については,美濃説と尾張説がある。織田信長の臣で,阪井氏を襲うが,次に豊臣秀次に仕える。1595年(文禄4)秀次が謀反のとがによって罪せられると,姓を土肥と改め蟄居した。このころ《新編医学正伝》など次々と医書を刊行した。中ごろ堀尾吉晴に侍医として,のち加賀藩主前田利常には軍学をもって仕えた。没年についても,2説があり,いずれとも決定しがたい。甫庵は医術を生業としたが,その教養の根幹は儒学にあった。著作の仮名草子《信長記》《太閤記》の根底にも儒教倫理が流れ,史実をそのままに記すというのではなく,儒学的理念を宣揚する目的で記されたものである。
執筆者:松田 修
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(樫澤葉子)
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1564~1640
江戸初期の儒医。「太閤記」の作者。名は道喜,又四郎・長大夫と称する。甫庵は号。尾張国の土岐氏の一族で,はじめ坂井と称し医術をもって豊臣秀次に仕えた。秀次没後,土岐・小瀬と改姓し,京都で「補註蒙求」「十四経発揮」などの古活字本を刊行。のちに堀尾吉晴,加賀国金沢藩主前田利常に仕えた。儒教の解釈や評価を織りまぜた「太閤記」や「信長記」「天正軍記」などの軍記を著すとともに,儒道の要点をまとめた「童蒙先習」を残す。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…《信長公記》と《原本信長記》との成立事情は必ずしも明らかではないが,前者は記事が豊富であり,首巻を伴っているので一般には利用度が高い。なお小瀬甫庵(おせほあん)の《信長記》は太田牛一の書に基づき自己の見解を交えて述作されたものである。《信長公記》の活字本には町田久成所蔵本による《我自刊我書》本,《史籍集覧》本,《戦国史料叢書》本と,陽明文庫所蔵本による角川文庫本とがあるが,両系統にほとんど差異はない。…
…豊臣秀吉の伝記物語。小瀬甫庵(おせほあん)作。22巻。…
※「小瀬甫庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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