山中恒(読み)ヤマナカヒサシ

デジタル大辞泉 「山中恒」の意味・読み・例文・類語

やまなか‐ひさし【山中恒】

[1931~ ]児童文学者・文芸評論家。北海道の生まれ。長編赤毛のポチ」で日本児童文学者協会新人賞を受賞し、本格的な執筆活動に入る。「花のウルトラ三人衆」「なんだかへんて子」「あばれはっちゃく」など、物語性の豊かな作品を多く書く。他に「三人泣きばやし」「とんでろじいちゃん」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山中恒」の意味・わかりやすい解説

山中恒
やまなかひさし
(1931― )

児童読物作家、評論家。小樽(おたる)市生まれ。早稲田(わせだ)大学第二文学部卒業。在学中、早大童話会に所属。卒業後、同人誌『小さい仲間』(1954年創刊)に北海道の炭坑町で暮らす労働者一家を一少女の日常を中心に入念に描いた『赤毛のポチ』を連載、1956年(昭和31)に日本児童文学者協会新人賞を受賞、1960年に出版され、日本の児童文学に長編リアリズム文学の基礎を築いたといわれている。

 1969年の『ぼくがぼくであること』は教育問題を主軸に家庭や個人のあり方などに関する尖鋭な視点が話題になったが、本質的には物語性の強い作品で、以後彼は『花のウルトラ三人衆』(1974)、『なんだかへんて子』(1975)、『あばれはっちゃく』(1977)、『おれがあいつであいつがおれで』(1980)、『とんでろじいちゃん』(1993)など斬新(ざんしん)な着想歯切れのよい文体、堅牢な構成を特徴とする物語を発表して、幅広い読者を獲得した。これらは、山中が、硬直した理想主義や教育性に基づくと評した「児童文学」と決別し、子供の真実の欲求に応えられる「児童読み物」を目ざした成果であり、『あばれはっちゃく』はテレビ化され、『おれがあいつであいつがおれで』と『なんだかへんて子』は大林宣彦(のぶひこ)(1938―2020)監督によって映画になり(前者は1982年『転校生』、後者は1985年『さびしんぼう』として映画化)、『とんでろじいちゃん』は発行年の野間児童文芸賞を受賞(1999年『あの、夏の日・とんでろじいちゃん』のタイトルで映画化。大林宣彦監督)。ほかに、『三人泣きばやし』(1973)が産経児童出版文化賞を、『山中恒児童よみもの選集』が1978年巌谷小波(いわやさざなみ)文芸賞を、山中恒監訳の『ぼくの町は戦場だった』(1990)が二度目の産経児童出版文化賞を、受賞している。

 山中は、芸術的な児童文学批判を『児童読物よ、よみがえれ』(1978)にまとめたが、児童文学の現在の遠因となる第二次世界大戦中から戦後にかけての学校教育の実態を膨大な資料に基づいて跡づけ、『ボクラ少国民』(1974)にまとめ、続巻とともに大きな影響を与えた。また、妹尾河童(せのおかっぱ)(1930― )著『少年H』(1997)の、事実に関する間違いを詳細に調査し、訂正を試みた『間違いだらけの少年H』(1999)を妻の山中典子との共著で発刊した。

神宮輝夫

『『赤毛のポチ』(1966・理論社)』『『天文子守歌』(1968・理論社)』『『火と光の子』(1968・実業之日本社)』『『ぼくがぼくであること』(1969・実業之日本社)』『『サムライの子』(1969・講談社)』『『三人泣きばやし』(1973・福音館書店)』『『花のウルトラ三人衆』(1974・秋元書房)』『『ボクラ少国民』全5巻・補巻(1974~1981・辺境社)』『『あばれはっちゃく』上下(1977・読売新聞社)』『『山中恒児童よみもの選集』全20巻(1977~1989・読売新聞社)』『『児童読物よ、よみがえれ』(1978・晶文社)』『『おれがあいつであいつがおれで』(1980・旺文社)』『『少国民ノート』1~3(1982、1985、1993・辺境社)』『『子どもが「少国民」といわれたころ――戦中教育の裏窓』(1982・朝日新聞社)』『『山中恒みんなの童話』全14巻(1983~1987・偕成社)』『『少国民の名のもとに』(1984・小学館)』『『ボクラ少国民と戦争応援歌』(1985・音楽之友社)』『『少国民はどう作られたか――若い人たちのために』(1986・筑摩書房)』『『子どもたちの太平洋戦争――国民学校の時代』(1986・岩波書店)』『『背後霊倶楽部』(1988・旺文社)』『『めたねこムーニャン』(1989・小学館)』『『背後霊仕掛人』(1990・旺文社)』『『大あばれ!めたねこムーニャン』(1990・小学館)』『『くいしんぼ!めたねこムーニャン』『あわてんぼ!めたねこムーニャン』(1991・小学館)』『『背後霊内申書』(1991・旺文社)』『『大変身!めたねこムーニャン』(1992・小学館)』『『とんでろじいちゃん』(1993・旺文社)』『『ミユの秘密の部屋』『ミユの秘密の友だち』『ミユの秘密の回り道』(1993~1994・第三文明社)』『『魔法使いのヘングレ・バーニャン』1~4(1994・理論社)』『『ボクラ少国民――教えの庭に』(1995・辺境社)』『『山中恒よみもの文庫』(1995~ ・理論社)』『『間違いだらけの少年H――銃後生活史の研究と手引き』(1999・辺境社)』『『書かれなかった戦争論』(2000・辺境社)』『『新聞は戦争を美化せよ!――戦時国家情報機構史』(2001・小学館)』『『「少年H」の盲点――忘れられた戦時史』(2001・辺境社)』『『青春は疑う――ボクラ少国民の終焉』(2002・辺境社)』『『なんだかへんて子』(偕成社文庫)』『『暮らしの中の太平洋戦争――欲シガリマセン勝ツマデハ』(岩波新書)』『BBC編、山中恒監訳・解説『ぼくの町は戦場だった』(1990・平凡社)』『大藤幹夫著『展望日本の児童文学』(1978・双文社)』『岡田純也著『子どもの本の魅力――宮沢賢治から安房直子まで』(1992・KTC中央出版)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山中恒」の解説

山中恒 やまなか-ひさし

1931- 昭和後期-平成時代の児童文学作家。
昭和6年7月20日生まれ。35年長編小説「赤毛のポチ」で社会にたちむかう子供の群像をリアルにえがく。物語性ゆたかな読み物を多数執筆し,49年「三人泣きばやし」で産経児童出版文化賞,平成5年「とんでろじいちゃん」で野間児童文芸賞。戦時下教育の実態をえぐりだした「ボクラ少国民」シリーズもある。北海道出身。早大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の山中恒の言及

【児童文学】より

… そうしたなかで,当時文学的にも社会的にも無名だった若い世代は,模索の手を未明の伝統という聖域へ伸ばし,53年の早大童話会による〈少年文学宣言〉を皮切りに,未明の伝統への否定的克服の道を歩みはじめた。60年,外国児童文学の洗礼を受けた石井桃子,瀬田貞二,渡辺茂男らのグループが《子どもと文学》を刊行したことでその動きはさらに強まり,57年,いぬいとみこの長編幼年童話《ながいながいペンギンの話》を筆頭に,神沢利子,佐藤さとる,中川李枝子,古田足日,松谷みよ子,山中恒らの新人作家がそれぞれの処女作をひっさげて登場,60年を越えた時点で日本の児童文学地図は完全に塗りかえられるに至った。以来今日まで,翻訳や評論・研究の分野を含め,また読書運動など普及の面も含めて児童文学は盛況の一途をたどっている。…

※「山中恒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」