山口素堂(読み)ヤマグチソドウ

デジタル大辞泉 「山口素堂」の意味・読み・例文・類語

やまぐち‐そどう〔‐ソダウ〕【山口素堂】

[1642~1716]江戸前中期俳人甲斐の人。名は信章。別号、其日庵・素仙堂など。江戸や京都で漢学和歌書道俳諧茶道能楽などを学ぶ。のち、江戸で芭蕉親交を結び、蕉風成立に貢献した。葛飾風の祖。著「とくとくの句合」など。

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精選版 日本国語大辞典 「山口素堂」の意味・読み・例文・類語

やまぐち‐そどう【山口素堂】

  1. 江戸前期の俳人。名は信章。幼名重五郎。通称市右衛門、のち勘兵衛。別号来雪・素仙堂など。甲斐国山梨県)の人。江戸で漢学を修め、一時京にのぼり和歌、書、俳諧を学ぶ。江戸定住後は、しばらく仕官したが、三八歳で致仕し晩年は葛飾隠棲した。芭蕉らと親交がある。著「とくとくの句合」。寛永一九~享保元年(一六四二‐一七一六

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山口素堂」の意味・わかりやすい解説

山口素堂
やまぐちそどう

[生]寛永19(1642).5.5. 甲斐
[没]享保1(1716).8.15. 江戸
江戸時代前期~中期の俳人。名,信章。字,子晋,公商。通称,勘兵衛。別号,来雪,松子,素仙堂,蓮池翁。茶道の号は今日庵,其日庵。 20歳前後に江戸に移り,儒学または算用の才をもって仕官し,延宝7 (1679) 年 38歳で致仕,上野不忍池のほとりに隠棲,貞享2 (85) 年頃葛飾に移った。葛飾風の祖。人格は高邁で,郷里の治水事業に尽力した。俳,茶,書,能,詩,歌をよくし,芭蕉と交わり,天和の漢詩文調に影響を与えた。編著『とくとくの句合』『俳諧五子稿』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口素堂」の解説

山口素堂 やまぐち-そどう

1642-1716 江戸時代前期-中期の俳人。
寛永19年5月5日生まれ。生家は甲斐(かい)(山梨県)の酒造業者。和歌,書,漢学などに通じ,文人として江戸で生涯をおくった。北村季吟(きぎん)門。松尾芭蕉(ばしょう)と親交があった。また郷里の濁川の治水工事に功があった。享保(きょうほう)元年8月15日死去。75歳。名は信章。通称は官(勘)兵衛。
【格言など】目には青葉山時鳥(やまほととぎす)初鰹(はつがつお)

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百科事典マイペディア 「山口素堂」の意味・わかりやすい解説

山口素堂【やまぐちそどう】

素堂

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世界大百科事典(旧版)内の山口素堂の言及

【素堂】より

…江戸前期の俳人。姓は山口,名は信章。甲斐国北巨摩郡教来石字山口の郷士の家に生まれた。少年時代父に従って甲府に移り,さらに20歳のころ江戸に出て林家について漢学を修めた。その後しばらく京へも遊学したらしい。俳諧は季吟門と伝えたが,最初の入集は加友撰《伊勢踊》(1668)で,〈江戸山口氏信章〉として5句。1675年(延宝3)5月,江戸下向中の宗因を歓迎する俳席に桃青(芭蕉)とともに出座,以後,翌年には両人で《江戸両吟集》を発行するなど親交を深め,芭蕉らの新風を支持した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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