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山田孝雄 やまだよしお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山田孝雄
やまだよしお

[生]1873.5.10. /1875.8.20. 富山
[没]1958.11.20. 宮城,仙台
国学者,国語学者。中学中退後,独学で教員となり,小学校,中学校で教える。 1927年東北帝国大学教授。 1929年文学博士。 1933年退官。のち神宮皇學館大學学長,貴族院議員などを務める。 1953年文化功労者。 1957年文化勲章受章。『日本文法論』 (1908) ,『日本文法講義』 (1922) ,『日本口語法講義』 (1922) ,『日本文法学概論』 (1936) などをもって独自の論理的文法体系を樹立,展開した。また『奈良朝文法史』 (1913) ,『平安朝文法史』 (1913) ,『平家物語の語法』 (1914) などで日本語の変遷を実証的に追究するほか,『敬語法の研究』 (1924,1931訂正版) ,『国語史文字編』 (1937) ,『五十音図の歴史』 (1938) ,『国語の中に於ける漢語の研究』 (1940) ,『国語学史』 (1943) など国語学の種々の分野にわたって顕著な業績を残した。『平家物語考』 (1911) ,『万葉集講義』 (3巻,1928~37) ,『源氏物語の音楽』 (1934) ,『連歌概説』 (1937) など書誌学国文学の面でも著述が多い。国語問題,歴史学,道徳論などの著作もある。

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デジタル大辞泉の解説

やまだ‐よしお〔‐よしを〕【山田孝雄】

[1873~1958]国語学者・国文学者。富山の生まれ。東北大教授・神宮皇学館大学学長。独自の体系的文法理論を打ち立て、厳密な語学的注釈による国文学の研究を行った。文化勲章受章。著「日本文法論」「奈良朝文法史」「平家物語につきての研究」など。

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百科事典マイペディアの解説

山田孝雄【やまだよしお】

国語学者,国文学者。富山市生れ。東北大教授,神宮皇学館大学長,貴族院議員を歴任。日本文法理論・文法史の開拓,漢文漢語の研究,国文学の研究に貢献。とくに文法研究は橋本進吉の〈橋本文法〉,時枝誠記の〈時枝文法〉と同様に,名を冠して〈山田文法〉と呼ばれ,大きな影響を与えた。
→関連項目国語学

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山田孝雄 やまだ-よしお

1875-1958 明治-昭和時代の国語学者。
明治8年8月20日生まれ。論理学をとりいれて山田文法を構築し,「日本文法論」をあらわす。さらに「平安朝文法史」「五十音図の歴史」で独創的な研究をしめした。また「平家物語考」「国学本義」など,国文学,国史学にも業績をのこした。東北帝大教授,神宮皇学館大学長,国史編修院長などを歴任。昭和32年文化勲章。昭和33年11月20日死去。83歳。富山県出身。富山中学中退。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまだよしお【山田孝雄】

1873‐1958(明治6‐昭和33)
国語学者,国文学者,歴史学者。富山市出身。富山中学中退後,教員の検定試験に合格,各地の小・中学校に勤務し,1906年上京,国語調査委員会補助委員,日本大学講師,24年東北大学講師,ついで教授,29年文学博士,33年退官,40年神宮皇学館大学学長となった。53年に文化功労者,57年に文化勲章を受章。《日本文法論》《奈良朝文法史》《平安朝文法史》など多くの文法研究書を著し,〈山田文法〉と呼ばれ,橋本進吉の〈橋本文法〉,時枝誠記(ときえだもとき)の〈時枝文法〉と併称される。

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大辞林 第三版の解説

やまだよしお【山田孝雄】

1873~1958) 国語学者・国文学者。富山県生まれ。国語についての独自の文法理論を立て、さらに上代から中世までの文法研究にすぐれた業績をあげた。また、語学的注釈による国文学研究においても多くの著作を残した。著「日本文法論」「奈良朝文法史」「平安朝文法史」「平家物語につきての研究」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山田孝雄
やまだよしお
(1873―1958)

国語学者、国文学者、歴史学者。富山県生まれ。富山中学校中退後、ほとんど独学で教員免許を取得し各地の小・中学校教諭を勤め、国語調査委員会補助委員、日本大学講師などを経て、東北帝国大学教授。退官後、神宮皇学館大学学長、貴族院議員、国史編修院長。1953年(昭和28)に文化功労者、57年に文化勲章を受章。最後の国学者ともいうべき姿勢を貫き、国語学、国文学、国史学、文献学などにわたり広範な研究活動を行った。なかでも山田文法とも称される文法研究が名高い。『日本文法論』(1908)でその理論体系を示し、『日本文法講義』(1922)、『日本文法学要論』(1931)、『日本文法学概論』(1936)などで展開敷衍(ふえん)した。「陳述」の概念を軸とした文成立論や品詞論、「述体句」「喚体句」に二大別する句(文)分類論など、意味を重視する心理主義的な彼の文法論は、その後の文法学界に大きな影響を与えた。『奈良朝文法史』(1913)、『平安朝文章史』(1913)、『平家物語につきての研究』(1911、13)などでは、各時代の語法を自らの文法体系により記述的に整理し、文法史研究の基礎を築いた。また『敬語法の研究』(1924)、『漢文の訓読によりて伝へられたる語法』(1935)などで文法学の新領域を開拓した。さらに『仮名遣の歴史』(1929)、『五十音図の歴史』(1938)、『国語の中に於(お)ける漢語の研究』(1940)などで国語学研究の新方面を開いた。『国語学史要』(1935)もある。国文学の分野では『平家物語考』(1911)ほか、周到な注釈・研究を多数著した。国史学では『国学の本義』(1939)、『国史に現はれた日本精神』(1941)などを著し、国粋主義を唱道した。国語問題についても『国語尊重の根本義』(1938)などで国粋主義的な論を展開した。文献学の面では古文献の調査研究、多くの古辞書、古典籍の索引編纂(へんさん)や複製刊行に尽力した功績も大きい。[清水康行]
『『日本文法学概論』(1984・宝文館出版)』

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世界大百科事典内の山田孝雄の言及

【国語学】より

…この会は,その事業の目的として,国語問題の解決をうたったのであるが,世に送った調査報告の多くは,国語問題に寄与するところがとぼしかった。その代りに,それらは,その学術的価値においてはなはだすぐれ,明治から大正初期にいたる時代の,国語学の歴史を飾る不滅の業績となっている(《音韻調査報告書》《口語法調査報告書》,大矢透《仮名源流考》,山田孝雄《平家物語につきての研究》その他)。大正の初年に,国語調査委員会が廃止されてのち,少なくとも,表面的には,国語学は衰えたが,少数の優秀な学者は,その研究をつづけた。…

【日本文法論】より

山田孝雄(よしお)著の文法書。1908年刊(1902年に一部刊行)。…

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