出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
文部官僚。静岡県出身。父は遠州報徳社社長良一郎,一木喜徳郎は実弟。1877年帝国大学文科大学を卒業。第一高等中学校教授,山口高等中学校校長などを経て,1901年文部省総務局長となり,専門学校令制定(1903),教科書国定化(1904施行)に尽力。04年勅選貴族院議員。その後京都帝大総長,文部次官を歴任,16年寺内正毅内閣の文相に就任,内閣直属の臨時教育会議を設置し,その答申に基づき高等教育制度の改革,義務教育費国庫負担の道を開いた。24-27年加藤高明内閣,若槻礼次郎内閣の文相となり,中等学校以上への軍事教練の導入,青年訓練所の設置など軍国主義教育を推進。29年枢密顧問官,33年文政審議会副総裁を務めた。
執筆者:由井 正臣
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明治中期から昭和初期にかけて活躍した文部官僚、報徳思想家。元治(げんじ)元年5月4日、遠江(とおとうみ)国佐野郡倉真(くらみ)村(静岡県掛川市)の豪農岡田良一郎の長男として生まれる。1887年(明治20)帝国大学文科大学卒業。1889年第一高等中学校教諭となり、教育勅語の下賜に臨んで同僚内村鑑三の不敬事件を糾弾した。1893年文部省視学官に就任、のち参与官、総務長官、次官などを歴任、1916年(大正5)には寺内正毅(まさたけ)内閣の文部大臣として臨時教育会議を開いて学制改革を推進、1924年にも加藤高明内閣の文相として青年訓練所令などを公布、国家主義に基づく公民教育体制を固めた。この間、山口高等中学校校長、京都帝国大学総長、東北帝国大学総長事務取扱を務める一方、貴族院議員や枢密顧問官などにも任命され、大日本報徳社社長も兼ねた。
[上沼八郎]
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