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岡田良平 おかだりょうへい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡田良平
おかだりょうへい

[生]元治1(1864).5.4. 遠江
[没]1934.3.23. 東京
明治中期から昭和前期にわたって活動した文部行政官。 1887年東京大学文科大学卒業。第一高等中学校教授,山口高等中学校長などを歴任し,1900年文部省実業学務局長,01年同総務長官となる。

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デジタル大辞泉の解説

おかだ‐りょうへい〔をかだリヤウヘイ〕【岡田良平】

[1864~1934]行政官・政治家。静岡の生まれ。大正6年(1917)内閣直属の諮問機関として臨時教育会議を設置し、学制改革を実施。文相などを歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡田良平 おかだ-りょうへい

1864-1934 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
元治(げんじ)元年5月4日生まれ。岡田良一郎の長男,一木喜徳郎の兄。文部総務長官などをつとめ,明治40年京都帝大総長。大正5年寺内内閣の文相となり,高等教育制度の改革をおこなった。加藤高明内閣,第1次若槻内閣でも文相をつとめた。貴族院議員,枢密顧問官。昭和9年3月23日死去。71歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。帝国大学卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

おかだりょうへい【岡田良平】

1864‐1934(元治1‐昭和9)
文部官僚。静岡県出身。父は遠州報徳社社長良一郎,一木喜徳郎は実弟。1877年帝国大学文科大学を卒業。第一高等中学校教授,山口高等中学校校長などを経て,1901年文部省総務局長となり,専門学校令制定(1903),教科書国定化(1904施行)に尽力。04年勅選貴族院議員。その後京都帝大総長,文部次官を歴任,16年寺内正毅内閣の文相に就任,内閣直属の臨時教育会議を設置し,その答申に基づき高等教育制度の改革,義務教育費国庫負担の道を開いた。

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大辞林 第三版の解説

おかだりょうへい【岡田良平】

1864~1934) 文部官僚・政治家。遠江とおとうみ掛川の人。東大卒。一木喜徳郎の兄。文相として、学制改革を推進。家族国家観的忠孝道徳の徹底化、学校教練の実施などの教育政策を立案実施。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡田良平
おかだりょうへい
(1864―1934)

明治中期から昭和初期にかけて活躍した文部官僚、報徳思想家。元治(げんじ)元年5月4日、遠江(とおとうみ)国佐野郡倉真(くらみ)村(静岡県掛川市)の豪農岡田良一郎の長男として生まれる。1887年(明治20)帝国大学文科大学卒業。1889年第一高等中学校教諭となり、教育勅語の下賜に臨んで同僚内村鑑三の不敬事件を糾弾した。1893年文部省視学官に就任、のち参与官、総務長官、次官などを歴任、1916年(大正5)には寺内正毅(まさたけ)内閣の文部大臣として臨時教育会議を開いて学制改革を推進、1924年にも加藤高明内閣の文相として青年訓練所令などを公布、国家主義に基づく公民教育体制を固めた。この間、山口高等中学校校長、京都帝国大学総長、東北帝国大学総長事務取扱を務める一方、貴族院議員や枢密顧問官などにも任命され、大日本報徳社社長も兼ねた。[上沼八郎]

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