実業家。三菱(みつびし)財閥の4代目当主。弥之助(弥太郎の弟)の長男。明治12年8月3日生まれ。旧制第一高等学校、東京帝国大学(中退)を経て、1905年(明治38)ケンブリッジ大学を卒業し、翌年に三菱合資会社の副社長、1916年(大正5)社長に就任した。理想主義とナショナリズムをあわせもち、優れた企業者資質によって三菱の各部門の拡大戦略を実施し、1917年から各事業部を株式会社として独立させ、財閥の形態を完成した。商事、銀行のほかに造船、製鉄、電機、内燃機、重工業、化成などの各企業によって、三菱を日本最大の重工業企業集団に成長させた。第二次世界大戦後の財閥解体政策に最初は強い抵抗を示したが、ついに三菱本社社長をはじめ10社の取締役を退任し、昭和20年12月2日に大動脈瘤(りゅう)破裂によって死亡した。小弥太は文化人としても活躍し、東京フィルハーモニー会の後援、父弥之助収集の静嘉堂(せいかどう)文庫の完成、成蹊(せいけい)学園への援助、三菱経済研究所の創設などを行い、また俳人としても活躍し、巨陶と号した。
[三島康雄]
『岩崎小弥太伝編纂委員会編『岩崎小弥太伝』(1957)』▽『三島康雄著『三菱財閥史 大正昭和編』(教育社歴史新書)』
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大正・昭和期の実業家 三菱財閥4代目当主;三菱合資会社社長。
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…広義には,歴史,芸術,民俗,産業,自然科学などの資料,切手,貨幣などの趣味品の収集をいうが,ここでは美術品の収集について述べる。 われわれが美術品に接するときの二つの重要な方法,享受と研究とのために,美術品のコレクションは欠くべからざるものである。なぜならば,建築や,建築の内外に付随するため現地に残されている美術品を除いて,過去のあらゆる美術的遺産は必ずなんらかの収集に属しているといえるからである。…
…三菱の岩崎小弥太が設立し,現在は東京都世田谷区に所在する文庫で,和漢の貴重な典籍,絵画,彫刻,工芸品など多数収蔵する。父の弥之助の蔵書をもとに,初めは神田駿河台の岩崎邸の一角に開館し,重野安繹(しげのやすつぐ)に収集・管理を任せて和漢の書を集め,また1894年青木信寅の古写本を中心とする和書蔵書240部1033冊をはじめとして,一括購入も併せ行った。…
…半導体関連に多角化している。1917年,三菱合資会社の岩崎小弥太が中心となり,(株)東京計器製作所(1896個人創業。現,東京計器)と藤井レンズ製造所(1909創業),岩城硝子製造所(1881創業)の3社の光学部門が統合されて設立された。…
※「岩崎小弥太」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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