日本歴史地名大系 「岩熊村」の解説
岩熊村
いわくまむら
岩熊村
やのくまむら
岩熊村
いわぐまむら
岩熊村
いわくまむら
「墅截」に岩熊新田とあり、「此新田ハ寛永年中宮田源左衛門取立候得共、成就せず捨申所、慶安元年新田小左衛門改発也」と記され、宝永三年(一七〇六)の「大成郡録」には岩熊村とあり、「慶長拾九年已後新田」とある。これらによると岩熊村は、伊達入部後の寛永年間(一六二四―四四)にいったん開発が計画されたが放棄され、慶安元年(一六四八)に再開発されて岩熊新田となり、元禄九年(一六九六)の宇和島藩一〇万石高直しの頃に岩熊村となったと考えられる。「大成郡録」に、「松丸村庄屋新城市兵衛支配」とあるから、松丸村の付村であったことがわかる。
岩熊村
いわくまむら
- 熊本県:宇土市
- 岩熊村
東は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報