崎戸(読み)さきと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「崎戸」の意味・わかりやすい解説

崎戸
さきと

長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡にあった旧町名(崎戸町(ちょう))。現在は西海市(さいかいし)の西端部を占める。旧崎戸町は1931年(昭和6)町制施行。1956年平(ひら)島、江ノ島江島)の2村を編入。2005年(平成17)西彼(せいひ)町、大島(おおしま)町、西海町大瀬戸(おおせと)町と合併、市制施行して西海市となった。旧崎戸町は西彼杵半島の西方海上にある蛎ノ浦島(かきうらしま)を主島とし崎戸島、御床島(みとこじま)および江島、平島を町域とした。1907年(明治40)蛎ノ浦島の西岸福浦炭坑が開かれて以来、海底炭田の町として発展、最盛期の昭和10年代には年間100万トン以上の出炭を誇り、日本有数の炭田といわれ、人口は2万5000を数えたが、1968年(昭和43)閉山し、人口は激減した。蛎ノ浦島は、中戸(なかと)大橋によって大島町と結ばれ、崎戸島―蛎ノ浦島間には本郷(ほんごう)大橋がある。また、佐世保(させぼ)港からの上五島(かみごとう)航路は、蛎ノ浦島、江島、平島に寄港する。

[石井泰義]

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百科事典マイペディア 「崎戸」の意味・わかりやすい解説

崎戸[町]【さきと】

長崎県中部,西彼杵(にしそのぎ)郡の旧町。西彼杵半島西岸沖にある蛎ノ浦(かきのうら)島,江ノ島,平(ひら)島などからなる。明治末期蛎ノ浦島の福浦で石炭採掘が始まってから炭鉱町として栄えたが,石炭業不振のため閉山し,衰微。蛎ノ浦島〜大島間に中戸橋がかかる。2005年4月西彼杵郡西彼町,西海町,大島町,大瀬戸町と合併し市制,西海市となる。14.11km2。2296人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「崎戸」の意味・わかりやすい解説

崎戸
さきと

長崎県中部,西海市西部の旧町域。西彼杵半島北西方の蛎浦島崎戸島平島,江島などからなる。1931年町制。1956年平島村,江島村を編入。2005年大島町,大瀬戸町,西海町,西彼町と合体し,西海市となる。蛎浦島は江戸時代は西海航路の寄港地として,また後期には捕鯨の基地としても栄えた。1907年以来炭鉱の町となり,最盛期の 1950年には人口 2万6000を数えたが 1968年閉山,その後製塩業が発達した。江島は台地状の島で,畑作と漁業が行なわれる。平島は西海国立公園,崎戸島,御床島は西彼杵半島県立自然公園に属する景勝地。

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改訂新版 世界大百科事典 「崎戸」の意味・わかりやすい解説

崎戸 (さきと)

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