川路利良(読み)カワジトシヨシ

デジタル大辞泉 「川路利良」の意味・読み・例文・類語

かわじ‐としよし〔かはぢ‐〕【川路利良】

[1834~1879]明治初期の官吏。薩摩さつまの人。大久保利通の腹心として日本の警察制度の確立に努力し、西南戦争では陸軍少将として警察隊を率いて従軍した。

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精選版 日本国語大辞典 「川路利良」の意味・読み・例文・類語

かわじ‐としよし【川路利良】

  1. 我が国の警察制度確立の功労者。陸軍少将。鹿児島県出身。初名、正之進。戊辰戦争参加。維新後、警視庁の創設に尽力し、初代長官として、警察行政の整備強化に努める。天保七~明治一二年(一八三六‐七九

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朝日日本歴史人物事典 「川路利良」の解説

川路利良

没年:明治12.10.13(1879)
生年:天保5.5.11(1834.6.17)
近代日本の警察制度確立に貢献した官僚。薩摩(鹿児島)藩出身。別名正之進,号は竜泉。薩摩藩与力川路利愛,悦子の長子に生まれ,幕末,禁門の変(1864)や鳥羽・伏見の戦(1868)で活躍,西郷隆盛らに知られる。新政府成立後は,明治4(1871)年東京府大属,5年邏卒総長に就任した。同年夏,司法省警保寮の発足に伴い警保助兼大警視となり,警察行政の近代化に腐心した。その目標は「国中ヲ安静ナラシメ人民ヲ健康シ保護スル為メ」(警保寮職制章程),すなわち行政警察の確立にあったといえる。西郷隆盛の推挙もあり,5年川路は各国警察制度視察のために渡欧した。6年帰国後,司法,行政両権分離を主張した。フランス警察制度に範をとった川路の「建議草案」にはあるべき行政警察体制の青写真が描かれ,大久保利通の内務省設置を背景として東京警視庁の創設により具体化された。川路のめざす行政警察とは,全国警察権の集中と国事警察機能の拡充を旨とするものであった。東京警視庁は,大警視川路を中心に薩摩出身の警察官僚の一大牙城となり,安藤則命ら川路系の警察官僚によりその理念は実践されたといえる。西南戦争(1877)に際し,東京警視庁は廃止されるが,川路は征討別働第3旅団司令長官となり,警視隊の指揮に当たった。12年の海外視察の帰路病死するが,その一身をわが国警察制度の確立にささげたといえよう。<参考文献>鈴木蘆堂『大警視川路利良』『警視庁史稿』

(笠原英彦)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川路利良」の意味・わかりやすい解説

川路利良
かわじとしよし
(1834―1879)

明治前期の官吏。警察行政の確立者。天保(てんぽう)5年5月11日薩摩(さつま)藩に生まれる。戊辰(ぼしん)戦争に参加。1871年(明治4)東京府大属となり邏卒(らそつ)(ポリス)制度の創設に従事、翌年洋行してヨーロッパの警察制度の調査にあたり、帰国後、意見書を提出して、国を強くするためには警察制度を確立しなければならないと主張した。1874年1月東京警視庁が創設されるや大警視となり、内務卿(ないむきょう)大久保利通(おおくぼとしみち)のもとで警察機構の確立に取り組んだ。西南戦争(1877)に際しては陸軍少将を兼ねて出征。戦後、再度洋行したが病をもって中途帰国し、明治12年10月13日病没した。

[大日方純夫]

『鈴木蘆堂著『大警視川路利良君伝』(1912・東陽堂)』『神川武利著『大警視・川路利良――日本の警察を創った男』(2003・PHP研究所)』

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改訂新版 世界大百科事典 「川路利良」の意味・わかりやすい解説

川路利良 (かわじとしよし)
生没年:1834-79(天保5-明治12)

警察制度の創設者。薩摩藩出身。1872年に邏卒(らそつ)総長に任官後,警察畑を昇進,その後,渡欧して73年に帰国。司法権と行政権の分立,警察権伸張の必要から警察制度の改革を建議し,征韓論から西南戦争にいたる政情不安の時期に,東京警視庁(1874-77年。その後81年に警視庁として復活)の長官の職にあって,首都の治安を担当した。西南戦争では,陸軍少将に任じ動員された警察隊の指揮官として参戦した。大久保利通のもとで,終始,警察権力の強化をはかることにつとめた。78年渡欧したが,病気にかかって帰国,病没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川路利良」の意味・わかりやすい解説

川路利良
かわじとしよし

[生]天保5(1834).5.11. 鹿児島,比志島
[没]1879.10.13. 東京
明治初期の官僚。警察制度の創設者。薩摩藩の城下士,郷士と足軽との間の与力の家柄に生れた。明治2 (1869) 年鹿児島藩兵器奉行となり,同4年東京府大属として中央政府に仕え,典事,邏卒総長を経,翌同5年,司法省警保助兼大警視を歴任した。同年江藤遣欧使節団の随員として渡欧 (江藤は渡欧せず) ,警察制度を視察した。帰朝後,1873年建議して司法省中の警保寮を同年民部省より分離新設された内務省に移管。 74年東京に警視庁を創設,みずからその長官 (大警視) に就任した。 77年西南戦争には征討別働第3旅団司令長官として出征。 78年再度ヨーロッパ視察に出発。旅行中病に伏し,パリより帰国後,日ならずして没した。近代国家における実行権力が軍事力,警察力に分けられ,警察力が司法警察と行政 (治安) 警察に分けられることを日本において明らかにしたのは川路である。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川路利良」の解説

川路利良 かわじ-としよし

1834-1879 明治時代の官僚。
天保(てんぽう)5年5月11日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。戊辰(ぼしん)戦争に参加し,明治4年東京府大属(だいさかん)となる。翌年警察制度視察のため渡欧。帰国後,司法権と警察権の分離を主張して警保寮の司法省から内務省への移管を建議し,実施される。7年東京警視庁の大警視。西南戦争では陸軍少将をかねた。明治12年10月13日死去。46歳。初名は正之進。号は竜泉。

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旺文社日本史事典 三訂版 「川路利良」の解説

川路利良
かわじとしよし

1834〜79
明治初期の官僚。近代的警察制度の創始者
薩摩藩出身。大久保利通の腹心の部下。戊辰 (ぼしん) 戦争に参加。1872年イギリス・フランスに渡り警察制度を研究し,帰国後,彼の建議により警察を司法省より内務省に移管。'74年警視庁創設の際,大警視(長官)に就任し治安維持に尽くした。

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世界大百科事典(旧版)内の川路利良の言及

【警察】より

… 日本の警察についての考え方は,大陸系の諸国における伝統的理解を引き継ぎ,それをむしろ日本的に脚色する形で成立した。たとえば日本の警察制度の創設者である川路利良は,〈海陸軍ハ外部ヲ護スル用兵ナリ,警察ハ内部ヲ補フ薬餌ナリ〉と述べ,警察と国民の関係は,〈一国ハ一家ナリ,政府ハ父母ナリ,人民ハ子ナリ警察ハ其保傅ナリ〉と説明している。ここでは,国民は,子供=未成年者であり,警察は,国民=未成年者の保育者としてとらえられている。…

【警視庁】より

…72年8月司法省に移管。同年9月より大警視川路利良がヨーロッパで警察制度の調査に従事し,73年9月警察制度改革に関する建議書を提出,首都警察の政府直属を主張した。これが折から征韓論政変によって主導権を握った大久保利通の認めるところとなって,73年11月新設の内務省のもとで警察制度の抜本的改革が進められた。…

【消防】より

…以来東京における唯一の消防組織となった町火消は,72年〈消防組〉と改組されて東京府消防局の監督下に置かれたが,さらに所管は司法省警保寮,東京府,司法省警保寮,内務省警保寮などと転々と移管され,74年創設された東京警視庁の安寧課消防掛を経て,80年6月1日創設の消防本部が消防業務を担当することとなって,体制が固まった。日本の近代的な消防の幕あけは,1872年に江藤新平の随行員として欧州各国に出張し,警察および消防制度を視察して帰国した川路利良の意見とその施策によるところが大きいとされる。74年1月28日には現在の消防組織法および消防法の元祖といえる〈消防章程〉が制定され,フランスからイギリス製の腕用ポンプなどを輸入して機械化を図り,また80年には長年の消防組の習慣の改善をねらいとして,軍隊式消防隊を組織するために消防専門職員である消火卒を300人募集している。…

【邏卒】より

…維新後,東京府の治安維持にあたった府兵は諸藩から選抜された藩兵であるが,いちじるしく統制に欠け,そのうえ同年7月の廃藩置県で廃止せざるをえなくなった。そこで欧米のポリスを模範に邏卒をおくこととし,取締組を編成,邏卒総長には川路利良が任じられた。3分の2にあたる2000名が鹿児島県士族であること,帯刀を禁じ3尺棒を持たせたのが特徴。…

※「川路利良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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