改訂新版 世界大百科事典 「官業払下げ」の意味・わかりやすい解説
官業払下げ (かんぎょうはらいさげ)
明治維新政府が殖産興業と機械制大工業の移植を意図して旧幕府から接収または新設した官営鉱工業(官営工業)を,特定部門を除いて民間に払い下げた政策。それを明治政府の方針として正式決定して布達されたのが〈工場払下概則〉(1880年11月施行)で,全4条からなる。払下げの条件は,(1)数人合資の会社または個人で必要な資力をもつ者,(2)各工場の営業資本金(企業経営のために国庫より支出した運転資本と赤字補塡のため支出した資本総額,いずれも国庫よりの借入金として会計処理されている)は払下げの際に全額支払うこと,興業費(各工場の建設費・拡張費と営業開始前の諸費用の合計)は年賦払い,(3)興業費の完納までは当該工場の建物・機械を政府へ抵当とすること。また,完納まで当該工場の会計は政府の監督員による監督を受け,その承認なしに固定資産を担保とした借入または権利の放棄ができない。(4)払下げ希望者があった場合には公示し,それが複数の場合には太政官が臨時委員を命じて審議・裁決する,という内容であった。この概則は大隈重信による財政政策の転換(1880年9月,紙幣整理と輸入の抑制のための国内産業の振興ならびに財政整理)と一本化して打ち出されたものであるが,払下げ条件が実情に合わなかったために,具体的実効性をもちえず,画餅化し,1884年10月廃止された。以後官業払下げは時々の方案による適宜の処分と変わり,個々の状態に応じて検討することとし,支払い条件が無利息・長期年賦と変更され,また〈確実な営業人〉を払受人にすることとした。ただし実際には84年1月の油戸炭坑払下げ以降この方針がとられていた。
こうして〈概則〉施行以前の高島炭鉱(1874年,払受人は後藤象二郎,のちに三菱へ譲渡)と施行後の広島紡績所(1882年,同広島綿糸紡績会社)を除き,1884,85年に経営内容の良い官営鉱山を除く政府投資の多額な諸鉱山(中小坂鉄山,小坂・院内銀山,阿仁銅山,大葛金山)を集中的に払い下げ,86年以降赤字の多い模範工場(愛知・新町紡績所など)の払下げがおこなわれ,工部省,内務省所管の工場が次々と払い下げられ,96年9月の佐渡金山・生野銀山(払受人,三菱)の払下げで終了した。〈概則〉の変更・廃止は特権的政商資本にきわめて有利であり,払下げの結果,三井(新町紡績所,富岡製糸場,釜石鉄山(田中長兵衛,のち三井財閥系となる),幌内炭鉱・鉄道(北海道炭坑鉄道,三井系),三池炭鉱(佐々木八郎,直後に三井に譲渡)),三菱(長崎造船所,佐渡・生野など),古河(院内・阿仁),浅野(深川セメント),久原(小坂),川崎(兵庫造船所)などの政商資本家が独占し,操業を開始する。払下げ価格は三池炭鉱と新町紡績所を除き興業費を下まわり,払受人は毎年の作業収益の一部をわずかな年賦払いにあて,立地条件と政府の資本投下の果実を受けとり,それにより政商資本家から産業資本家へ転化する基礎を固めるとともに,財閥資本への発展の契機となった。他方,明治政府はこれらの払下げによって官営工業を整理しつつ,軍工厰および兵器素材生産や生産手段素材生産のための官営製鉄所の建設や電信・電話,鉄道などの部門の拡充を志向し,産業構造の再編を強力に推進していくのである。
→財閥
執筆者:佐藤 昌一郎
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