常住寺(読み)じようじゆうじ

日本歴史地名大系 「常住寺」の解説

常住寺
じようじゆうじ

[現在地名]上野市長田 十王下

比自ひじ山東麓の十王下じゆうおうしたにあり、平野山常明院と号し天台宗寒松かんしよう(現津市寒松院)末と「統集懐録」に記す。本尊閻魔大王。「花厳初心手鏡」(早稲田大学図書館蔵)上冊の識語に、応永二一年(一四一四)雪翁が「伊州長田常住寺」で書終えたと寺名が出る。永禄一一年(一五六八)三月一六日には京都からきた吉田兼右が十王堂に参り「此寺号常住寺奉開御戸令様子拝見了」と記す。「多聞院日記」天正二〇年(一五九二)八月二一日条には「伊賀長田閻魔」が奈良元興がんごう寺極楽坊で開帳され、大勢の人が参ったとある。貞享四年(一六八七)の「伊水温故」はえんおう寺と寺名を改むとする王は閻魔王である。本堂筒井定次の造立で、当時は現位置より東二町ほどにあったが、万治二年(一六五九)四月「長田十王堂破損ニ付」、松寿しようじゆ(現寒松院)の許可をえて現在地へ移建した(伊水温故)


常住寺
じようじゆうじ

[現在地名]下仁田町下仁田

国道二五四号に面する山の中腹にある。天台宗、五大山普門院と称し、本尊は釈迦如来。寺伝では畠山重忠の孫重快が世良田長楽せらだちようらく(現新田郡尾島町)六世了恵に師事したのち、元弘四年(一三三四)に創建したという。近世には朱印高一五石を有した(天保一一年「組合村高書上帳」桜井文書など)。墓所に県指定史跡の高橋道斎の墓がある。


常住寺
じようじゆうじ

[現在地名]函館市青柳町

函館山東麓の函館公園東方にある日蓮宗寺院。久成山と号し、本尊釈迦如来。明治一二年(一八七九)亀若かめわか町に説教所を設けて詰僧を置いたのに始まる。その後信徒が増加したのに伴い蓬莱ほうらい町に一寺の創立願出、同一六年に許可を得た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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