コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

建川美次 たてかわよしつぐ

6件 の用語解説(建川美次の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

建川美次
たてかわよしつぐ

[生]1880.10.3. 新潟
[没]1945.9.9. 東京
陸軍軍人。 1901年陸軍士官学校卒業。 04~05年日露戦争に騎兵として出征,建川挺進隊長として有名になった (『敵中横断三百里』のモデルとなる) 。 09年陸軍大学校卒業。第1次世界大戦では南部戦線に従軍。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

建川美次【たてかわよしつぐ】

陸軍中将。新潟県生れ。1901年陸軍士官学校卒。日露戦争に出征,建川挺身隊として活躍する。のち参謀本部員などを歴任し,桜会三月事件に関与。満州事変で現地に派遣されたが,関東軍の行動を黙認した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

建川美次 たてかわ-よしつぐ

1880-1945 明治-昭和時代前期の軍人。
明治13年10月3日生まれ。日露戦争で建川挺身隊隊長として活躍,山中峯太郎の「敵中横断三百里」のモデルとなる。満州事変の直前,参謀本部第一部長として現地に派遣されたが,関東軍の謀略を黙認。昭和15年駐ソ連大使となり,日ソ中立条約の交渉にあたった。陸軍中将。昭和20年9月9日死去。66歳。新潟県出身。陸軍大学校卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

たてかわよしつぐ【建川美次】

1880‐1945(明治13‐昭和20)
陸軍中将。新潟県生れ。1901年陸軍士官学校卒(13期)で騎兵少尉となり,日露戦争出征。《敵中横断三百里》は建川挺身隊の行動を小説にしたものである。その後参謀本部員などを歴任,大正中期ころより宇垣一成に引き立てられ,桜会三月事件に関わり,満州事変においては参謀本部第一部長として現地に派遣されたが,すでに参謀本部として目標についての一致があったので関東軍の行動を黙認した。40年駐ソ大使,44年大日本翼賛壮年団団長などを歴任した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

たてかわよしつぐ【建川美次】

1880~1945) 軍人。陸軍中将。新潟県生まれ。1931年(昭和6)の三月事件や満州事変に関与。のち駐ソ大使。大政翼賛会総務。山中峯太郎「敵中横断三百里」のモデルでもある。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

建川美次
たてかわよしつぐ
(1880―1945)

陸軍軍人。明治13年10月3日新潟県に生まれる。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。日露戦争に従軍し、建川挺身(ていしん)隊長(将校斥候)として活躍し、山中峯太郎(やまなかみねたろう)『敵中横断三百里』のモデルとなる。イギリス、インドに駐在し、1929年(昭和4)参謀本部第二部長となる。1931年の三月事件のクーデター謀議に参画し、満州事変の勃発(ぼっぱつ)直前、参謀本部第一部長として関東軍の独断行動を引き留める名目で奉天へ派遣されたが、関東軍の謀略を黙認した。1932年中将となり、以後、第一〇師団長、第四師団長を歴任、1936年、二・二六事件後の粛軍人事により予備役となった。1940年駐ソ大使となり、日ソ中立条約の下交渉にあたる。1944年には大政翼賛会総務、大日本翼賛壮年団長に就任した。昭和20年9月9日死去。[粟屋憲太郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の建川美次の言及

【三月事件】より

…前年10月桜会を結成した参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らは,31年2月第59議会が幣原喜重郎首相代理の失言問題で大混乱に陥ったのをみて,クーデタを遂行し宇垣一成陸相を首班とする内閣を樹立しようとはかった。建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。計画は参謀本部支那課長重藤千秋大佐が中心となって作成し,右翼の大川周明,社会民衆党の赤松克麿,亀井貫一郎らとも連携,徳川義親から20万円の資金をえた。…

※「建川美次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

建川美次の関連キーワード木村恒夫瀬川章友多田礼吉西原茂太郎野口坤之能村磐夫松浦寛威山岡熊治山内長人与倉喜平

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone